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不幸だと思っているあなた!幸せの訪れにはサイクルがあるのですよ!

神様が与えた一生分の幸せの量は決まっていると言われています。だから、長い不幸が続けば続くほど、大きな幸せが待っているということです。不幸だけの人生なんて無いのです。

人それぞれ幸せのサイクルの周期が決まっていて、その周期が長い人と短い人がいるのです。不運な時は、次の幸せの準備期間だと思って、焦らずじっとしていましょう。

「幸せ」は習慣の問題です

まったく同じ環境でも「幸せだなあ!」と思うかどうかはその人次第です。つまり幸せ観は考え方の問題なのです。幸せは、見つけて温めて育てることができるのをご存知ですか?

まず、先述したとおり、幸せはどこにでも転がっているのです。例えば、傘を持っていないのに突然の雨に降られたとします。あなたはびしょぬれになります。「今日はついてないなあ」と思うか、「急いで帰ってお風呂入ろう!」と次の幸せを考えているかで大きく違います。

自分の不運を悲しんでいると思考が下向きになって他の事を考えられませんが、事実をそのまま受け止め、既に次の事を考えていると、先の幸せにも気付くのです。

例えば、雨なのに虹が出ていたとか、桜の花に水滴がついて光って見えて「きれいだなあ!」と感動できたとか、雨宿りにスーパーに入ったら、タイムセールをしていたといったふうに、そのようなさまざまな出来事を「雨のお陰でラッキー!」と思うでしょう。どちらの人生の方が幸せだと思いますか?もちろん後者です。

ある有名な学者の言葉に「幸福とは苦しみの渕を泳いでいる鮎のごとし」という言葉があります。筆者はこの言葉が大好きです。「つれない川(不幸)だと思っていたら、鮎(幸)は川の渕にいた」と言う歌で、幸福は苦しみ(不幸)のすぐ傍にあって、気付くか気付かないかということです。

だから、苦しいと思う時こそ、「不幸だ」と思って諦めてしまうのではなく、周りを見渡して小さな幸福を探すのです。それが小指の先ほどの小さな幸福だったとしても、そのことを喜び、その幸せに出会えたことに感謝して嬉しい気持ちでいられたら、心は明るく前向きになります。そういう人には「幸せは寄ってくる」とも言われています。

でも、幸せが寄ってくるのではなく、すぐ傍にある幸せを見つけるのがだんだん上手になっていくのではないかと思います。人が気付かないだけで、幸せは苦しみのすぐそばにあるのですから。

また、これは筆者の勝手な解釈ですが、鮎が川の真ん中から渕へと泳ぐように、苦しみを横切ってしまう、すなわち乗り越えればそこには幸せが待っているという意味もあるのではないかと思います。

小さな幸せをたくさん見つけられるようになれば、苦しみを乗り越える力もわいてきそうですよね。そうすると小さな幸せを喜んで感謝しているうちに、大きな幸せも手にできる、すなわち「幸せは、見つけて温めて育てることができる」のですよ。

「人生の幸せの量は決まっている」ってどういうこと?

「人生の幸せの量は決まっている」と言われています。しかし、例えば「何のとりえもない自分とハリウッド俳優の幸せの量が同じだというのは変だ」といった感じで幸せな他人と比べて不思議に思う人がほとんどでしょう。でも、これはあなたの「幸せ」の考え方が間違っているのです。

例えば、オードリーヘップバーンは誰もが知る世界的大女優です。でも、彼女はその大女優であるが故に2度も結婚に失敗します。どんなに家庭を大切にしても夫が浮気をしてしまうのです。そのような結婚生活に悲しんだオードリーは、3度目のお相手とは穏やかな関係のままパートナーであり続けて、結婚を決意するまでに長い時間を費やします。

結婚したらこの幸せが壊れてしまうような気がしたそうです。晩年のオードリーはユニセフ活動にも意欲を燃やします。オードリーの恋人はその活動も応援し続けてくれたそうです。最終的にオードリーはこの男性と結婚し幸せな余生を暮らすのですが、華やかな女優の栄光の陰に、夫の裏切りに傷つき、女性として本当の幸せを得たのは人生の晩年になってやっとです。

また、大きな成功を収めた人には、そこにたどり着くまで、貧困や下積み時代の惨めさや苦しさ、悲しみがあるのです。その苦しみを乗り越えた先にそれほどの大きな成功があるとは知らないのですから、先の見えない苦しみを乗り越えることは、大変な事です。このように大きな幸せを手にするには、大きな不幸の時代も経験しなければならないということです。

でも、人生大した不幸に遭わないけれど、大した幸運にも恵まれない、幸福と不幸の波の小さな人生の人もいるのです。こういう人は、栄光を収めた人と自分の人生を比べて「自分には幸せはやって来ないのか」と嘆くかもしれません。

でも、貧乏でも一応何とか生活できて、子供が元気で優しい夫と普通に暮らしているということは、実は女性として、妻として、母として、ずーっと幸せであり続けているのです。但し、物欲が全く得られないので、貧乏を不幸と考えてしまいがちです。

「何の変哲も無い人生」「平々凡々の人生」とは実はとても穏やかで安泰で幸せな人生なのです。不幸があったとしても、例えば盲腸になって入院した位でしょう。

今幸せでないと思っているあなた!大きな幸せを得たいなら!?

人生、幸せと不幸は釣り合っていなければなりません。大きな幸せを得たいならその分進んで苦労し、困難な道へと進みましょう。そうしなければ幸せに見合わない分として、とてつもない不幸が返ってきます。

また、人の人生は晩年の方が記憶に残り、時間もゆっくりと流れていますので、晩年に幸せを持ってくる方が、人生の幸せ観が大きくて得した気分になると思いませんか!昔の人が「若い時の苦労は買ってでもしろ!」と言ったのは、晩年に幸せを持ってくるためなのです。

今「幸せでない」と思っている人は、もしかしたら既に小さな幸せを長年得ているのかもしれません。もっと大きな幸せを得たいなら、敢えて自分から苦労を買ってみたら、いつもより大きな幸せが得られますよ。でも、資格試験にがんばったら、合格できた、これだけでも不幸と幸せがつりあってしまいますから、大きな幸せを得るには、試練を乗り越え続けなければなりません。

しかし、人にはその人の器量というものがあります。器量に不釣り合いな幸せを望むと自分を不幸にします。大きな幸せをつかむ人は、その分果てしない不幸に耐えうる強さを持っているのです。

自分の器量は自分では測れないのですから、今すぐに幸せになりたいなら、周りを見回して幸せを探し、小さな幸せを見つけることから始めましょう。その小さな幸せを温め大切に育てることを習慣づけましょう。

つまり小さな幸せを見つけたら、その幸せを維持するためにその分小さな努力をするのです。この努力が幸せの肥料や水となります。

そうして、幸せを大切に大切に育てていると、あなたに大きな幸せをつかむ器量があるのなら、それに必要な肥料、すなわち試練(不幸)に臨む機会が向こうからやって来るものですよ。そのチャンスを逃さないためにも、今の幸せを大切に育み、人生を楽しみましょう☆

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