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甲子園の歴史に刻まれる箕島伝説!尾藤野球の真髄に迫る!

高校球史に燦然と輝く名勝負

高校野球には数々の名勝負がある。最近では2006年夏決勝の早稲田実業×駒大苫小牧の延長15回引き分け再試合、少し前だと1998年夏準々決勝の横浜×PL学園の延長17回、古くは1969年夏決勝の松山商業×三沢の延長18回引き分け再試合など……。

だが、筆者が最も胸に残っているのが1979年夏三回戦の箕島×星稜だ。追いつ追われつの攻防で延長18回の激闘となった。まさしく伝説の名勝負である。

公立校として初の春夏連覇を目指す

箕島は有田市にある和歌山県立校。この年の箕島は突出した選手はいなかったものの「負けない」チームだった。春のセンバツでは準決勝で「逆転のPL」こと前年夏の覇者のPL学園に逆転サヨナラ勝ち。決勝では浪商(現・大体大浪商)と壮絶な打撃戦を繰り広げ、8-7で振り切り3度目の春制覇となった。

しかし、センバツでは3度の優勝を誇るものの、夏の優勝はまだなかった。「春には強いが夏に弱い箕島」というレッテルを貼られ、初の夏制覇、そして公立校として初の春夏連覇を目指して夏の甲子園にやって来た。

淡々と進む試合。しかし延長戦になって試合が動き出す

箕島は順当に勝ち進み、三回戦で北陸の強豪・石川の星稜と対戦した。箕島の石井毅(現・木村竹志。後の西武)と星稜の堅田外司昭が好投し、1-1のまま延長戦に突入した。延長12回表、星稜が待望の勝ち越し点を挙げる。1-2で延長12回裏、箕島の攻撃を迎えた。

しかし、箕島は2人があっさり打ち取られ二死無走者、絶体絶命となった。あと1アウトで春夏連覇の夢は潰える。箕島の尾藤公監督は負けを覚悟したという。ところが、次打者の嶋田宗彦(後の阪神)が「ホームランを狙っていいですか?」と聞いてきて、尾藤は我に返った。まだ負けたわけではない、と。「よーし、狙っていけ!」尾藤は嶋田を送り出した。

嶋田は堅田のカーブを叩き、打球はレフトラッキーゾーンへ飛び込んだ。起死回生の同点ホームランである。この場面で「ホームランを狙います」と言って本当にホームランを打つ精神力も凄いが、まだ奇跡の序章に過ぎなかった。

2度目の奇跡

延長16回表、星稜が1点をもぎ取り、再び1点リード。その裏の箕島の攻撃は2人打ち取られ、二死無走者となる。もう延長12回のような奇跡は起こらないだろう。森川康弘が放った打球は一塁ファウルフライ。万事休す、箕島敗れる!誰もがそう思った瞬間だった。

野球の神様はとんでもないイタズラをする。ファウルフライを追った星稜の一塁手、加藤直樹がベンチ前の人工芝につまずいて、転倒してしまったのだ。この人工芝は、この年に敷かれたものである。つまり前年ならフライを難なく捕っただろう。九死に一生を得た森川は1-2と追い込まれたが、直球を叩いた打球は左中間スタンドに吸い込まれた。

1度ならず2度目の奇跡。こんな試合を誰が予想しただろうか。野球漫画でもこんなベタな試合展開にはしないだろう。しかし現実に、奇跡は2回起こったのだ。

結局、この試合は引き分け寸前の延長18回裏に箕島が決勝点を挙げて4-3でサヨナラ勝ち。でも、2本の同点ホームランの印象が強すぎて、サヨナラのシーンはほとんど憶えていない。箕島はその後も勝ち進み、公立校初の春夏連覇を成し遂げた。

尾藤監督が作り上げた箕島野球

尾藤は公立校の監督ながら教員ではなく、後援会に雇われた監督である。従って何よりも戦績を求められる。有田は漁師の街なので気性が荒く、戦績が振るわないと風当たりが強かった。一時期は監督を辞め、ボウリング場で働いたこともあった。

しかし、いくら結果が優先される雇われ監督でも、選手に暴力を振るったことはなかった。一度、上級生の下級生に対する理不尽なシゴキを目撃したとき、その上級生を殴ろうとしたが、すんでのところで拳を止めた。「もしあの時、殴っていたら今の私はなかった」と尾藤は述懐した。

尾藤は試合中に笑顔を絶やさない、珍しい監督だった。選手達をリラックスさせるためである。いつしか人は「尾藤スマイル」と呼んだ。また、高校野球ではタブーとされていた恋愛も選手達に奨励している。「好きになったからには、その女の子にトコトン惚れ込め」と選手達に諭した。革命的な指導者だったのだ。

精神面ばかりではない。当時のスポーツ界では絶対禁止だった水分補給も積極的に採り入れた。チームドクターの助言もあったからだが、星稜戦でもベンチには大量のミネラルウォーターを持ち込み、また栄養補給にとバナナやサンドイッチなども置いていた。科学的にも当時の最先端を行っていたのである。この年の箕島は、そんな尾藤が作り上げた最高傑作のチームだった。

2011年3月6日、尾藤は永眠した。その2年後、即ち2013年から尾藤の長男である尾藤強が箕島高校野球部監督に就任。父の遺志を受け継いでいる。

そして今年の夏、尾藤強監督率いる箕島は29年ぶりに夏の甲子園出場を果たした。初戦敗退したものの、父親の「尾藤スマイル」は甲子園のベンチで息子に引き継がれた。

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