無理にポジティブに生きてきた人が自分の気持ちと向き合う時に感動する理由
あなたの周りには無理やりポジティブに生きている人はいませんか?それは自分かもしれませんし、家族、恋人、友達にいるかもしれません。それは何となくポジティブというより無理やりポジティブにしようとする感じです。それが良い悪いではありませんが、実際それをしている本人が一番疲れるでしょうし、それを何年も続けていると疲れるという感覚すら忘れてしまうかもしれません。
それは成長したというより気持ちの変化を感じられなくなるまで自分の気持ちを押し殺してきたかもしれず、それが人生を振り回すエネルギーになるかもしれません。
なぜ、気持ちが爆発するのか?
感情は押し殺してフタをしていても、いつか溜めていた分がまとめてドカンと噴き出ることがあります。それはネガティブな感情を感じているのに見ないようにして無理やりポジティブにして、後から一気にネガティブな感情が噴き出るようなものです。
エリートの道を歩んでいる人が、もっと違う道を進みたいのに無理やり頭で考えてそっちに行こうとして、途中で全部投げ出してしまう人がいるのもこれが元にあります。
また、家族が暗くどんよりしているのが嫌で「自分が明るくしないと!」と思って無理やりポジティブに振る舞うようになる人もいます。この人は一見パワフルで何でも出来る有能なビジネスマンやスポーツマンに多いタイプですが、それも行き過ぎるとネガティブな感情を感じるセンサーが鈍ってきます。
ネガティブな感情は感じない方が良いのではないかと思う人もいるかもしれませんが、感情に良い悪いはなく、それはただ自分で気持ちいいか気持ち悪いか判断して選んでいます。
ネガティブな感情を感じないようにすると、同時に幸せや心の平安、情熱といった感情も感じられなくなるようです。これまでスポーツや趣味などで情熱や自分らしさを感じたことがある人は、快適さだけよりチャレンジすることがあったのではないでしょうか。
肝試しと気持ちの動きの関係
チャレンジと快適さの中間に自分らしさや情熱を感じるところがあり、無理やりポジティブにしていると、それはただ明るく見えるだけで空回りしている可能性もあります。効率がよく見えることでも、実はもっと力を抜いて夢中になった方が効率・効果が高いことがあり、気付いたらこんなにやっていたという経験がある人もいると思います。
無理やりポジティブに振る舞っている人といると、その人が感じないようにしている感情も周りの人に伝わるため、その人といると疲れるという経験をした人もいるでしょう。
見た感じ楽しそうでパワフルな感じがしますが、もっと心の深いところを見ていくと、そうやって振る舞わないと自分の見たくない気持ちと直面しないといけないからその状態になっているといえます。
肝試しでたとえると、ただ葉っぱがカサカサこすれる音がしただけなのにギャーッと叫んで逃げ回るようなものです。ですが、実際はただ葉っぱがこすれただけで、無理やりポジティブに振る舞っているのも見たくない感情と向き合ったらそこまでひどいものじゃないかもしれません。
特にポジティブに振る舞う人は自分には価値がないと思っていることが多く、無価値感と向き合いたくないために自分には価値があると見出したいと思い、ポジティブに何でも考えるようにするようです。
心が入った人生を生きる人
ですが、無価値感は逃げても逃げても逃げられないもので、それはどれだけ成功している人でも感じるようです。そこで「自分には価値がある!」とポジティブに振る舞うのか、それを感じ尽くすのかでは場合によっては全然違う人生になります。
今までポジティブに振る舞っていた人は行動で何とかしようとして、感情をとにかく感じないように、ツールやノウハウを駆使して結果を出そうとします。ですが、その結果自体後から考えたら、無価値感を感じないために恐れから行動していたもので、自分が本当にやりたいことじゃないことかもしれません。
そして、行動せずに無価値感を感じても心で感じ尽くすようにし、なぜ自分が無理やりポジティブに振る舞わないといけなくなったのかを心で見つめるようにします。
すると、今までの自分じゃいられなくなり、ポジティブに振る舞うことで周りを喜ばせる、自分には価値があると思うなど、そうしないといけなくなった悲しいストーリーが人によってはあるかもしれません。
そうしてだんだんと自分の心を感じるようになると、周りにいる人も感動するのは、それだけ一人の心が動いたら周りの人の心も動くからです。それは映画を見ていても分かりますが、どんな場面でも感動する時は、人の心が動く時です。そうして心が入った人生を生きる人は、自分らしい人生が分かるようになるみたいです。