「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった、花園史上最高の名勝負!
大人気ドラマ「スクール☆ウォーズ」
1984年からTBS系列で放映されたドラマ「スクール☆ウォーズ」は大人気を博し、このドラマがきっかけでラグビーブームが巻き起こった。まあ制作したのが、あの大映テレビだったのだからツッコミどころ満載なのだが、それでも実話を元にしたドラマである。
あらすじは、荒れ果てた川浜高校にラグビー元日本代表の滝沢賢治(山下真司)が赴任し、ラグビーを通じて学校を立て直して、さらには数年後にラグビー部を全国優勝に導く、というものだ。かなり脚色されているとはいえ実話を元にしたのだから、当然川浜高校のモデル校もあったわけである。
そのモデル校とは京都市立伏見工業。実際に伏見工は荒れた学校から僅か数年で全国制覇を成し遂げた。ドラマの最終回ではその時の決勝戦の模様が描かれているが、スコアも試合展開も全く同じである。
モデルとなったその決勝戦は、現在でも花園史上最高の名勝負として語り継がれている。
冬の花園で両雄が激突
81年1月7日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場では第60回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦、伏見工業×大阪工業大学高校(現・常翔学園)が行われていた。この両校は春の近畿大会決勝では10-8で工大が勝ち、秋の国体決勝では10-10の引き分けだった。雌雄を決するべく冬の花園に出場した両校は、圧倒的な力で共に決勝進出を果たした。
パワーの工大×スピードの伏見工という優勝候補同士の対決、さらに地元の近畿決戦ということもあって、寒風吹きすさぶ中にもかかわらず花園は超満員。その期待に違わぬ好試合となった。
伏見工は前半3分、センター(CTB)細田元一のペナルティ・ゴール(PG)で3点先制。パワーで上回る工大は空回りが目立ち、終始伏見工ペースで前半の30分を終えた。
3-0と伏見工リードで後半開始。泣いても笑ってもあと30分だ。だがこのまま引き下がる工大ではない。後半6分には工大のCTB東田哲也がPGを決め、3-3の同点に追い付く。このPGで工大は息を吹き返し、まさしく一進一退の攻防となった。
試合は3-3、双方ノートライのまま試合は進み、時計はノーサイドまであと1分の29分を指していた。もし、同点のままノーサイドになれば引き分けで両校優勝である。
伝説のトライ
実は引き分けに終わった秋の国体決勝では、ノーサイド寸前まで伏見工が10-4でリードしていたのだ。しかし最後のワンプレーでミスが出て、工大にトライを奪われ、さらにコンバージョン・ゴール(G)も決められて引き分けに持ち込まれたのだ。伏見工にとって負けに等しい引き分けだった。
秋の国体決勝で、伏見工は大切なことを学んだ。ノーサイドの笛が鳴るまで、何が起こるかわからない、と。国体決勝での経験が、最後の最後で活きたのである。
後半29分、工大陣25m付近からのスクラムで、伏見工にボールが出た。工大は伏見工の切り札・スタンドオフ(SO)平尾誠二を警戒したが、その平尾の飛ばしたパスにより工大ディフェンス網が崩れた。
ボールはウィング(WTB)栗林彰に渡り、栗林は工大の選手を振り切って左隅にトライ!遂に均衡が敗れた。伏見工フィフティーンは喜びを爆発させ、スタンドは大歓声に包まれた。
だが、試合はまだ続く。その後のGは外れ、ロスタイムで工大は国体の再現を狙って伏見工陣内に入り執拗な攻撃を続けるものの、伏見工が守り切り7-3で見事に初優勝を成し遂げた。
あの登場人物のモデルは?
では、ドラマに登場した人物のモデルは誰だったのか?まず川浜高校の滝沢監督のモデルは、伏見工監督の山口良治で間違いない。山口は日本代表の伝説的なフランカー(FL)だった。
優勝時のキャプテン・平山誠は、上記に登場した平尾誠二。平尾は同志社大3連覇、神戸製鋼7連覇に大きく貢献し、日本代表としても活躍して、さらに日本代表監督まで務めたミスター・ラグビーだ。
優勝当時は既に卒業していたものの、ドラマの準主役だった大木大助(松村雄基)のモデルは、平尾と共に同大、神鋼、日本代表で活躍した大八木淳史。もっとも大木大助のモデルは、大八木と同級生だった山田英明と、彼らの1年先輩だった山本清悟の3人を合わせたキャラクターだったと言われる。大八木自身は「俺、大木大助ほどワルなかったで」と語っていた。
物語のキーパーソンとなった、高校在学途中で病死したイソップにもモデルはいた。「フーロー」と呼ばれた奥寺浩である。奥寺は不幸にも、小人症で在学中にこの世を去った。
最後に、実際の伏見工は川浜高校ほど荒れてはいなかったようだ。ドラマでは授業中に生徒達が麻雀牌をジャラジャラかき混ぜているシーンがあるが、実際には紙麻雀だったようである。つまり、他の生徒には迷惑をかけてなかったわけだ。もっとも、授業中に麻雀をしていたことに変わりはないが。