プロレスラーにレスリング出身者はなぜ少ない?レスラーの意外な過去
プロレスだけの特殊事情
日本のプロレスの父・力道山。力道山の死後、両エースとして君臨したジャイアント馬場とアントニオ猪木。この3人がいなければ、日本のプロレスはとっくに滅びていただろう。
この三巨頭には共通項がある。それは何か?3人ともレスリングを経験せずにプロレスラーになったことである。プロレスとは略さずに言うとプロフェッショナル・レスリングだ。それなのに、ビッグ3がアマチュア・レスリングを経験せずにプロ入りしているのである。
アマチュア時代に野球経験のない者が、プロ野球チームに入団することがあるだろうか。北海道日本ハム・ファイターズの大嶋匠はソフトボール出身だが、野球とは似た競技だし、現在のところプロ野球では通用していない。しかも大嶋の場合は例外中の例外だ。
サッカーでも同じで、フットサルからの転身なら有りうるが、高校時代は野球部で卒業後にJリーグ入り、なんて考えられない。しかし、プロレスラーにはアマレスを経ずにプロになった人が大勢いる。
なぜなのか?答えは簡単だ。プロレスとアマレスは全く違うルールだからである。アマレスは相手の両肩をマットに1秒着ければ勝ちだが、プロレスでは3秒間も両肩を着けなければならない。打撃禁止のアマレスに対し、プロレスは打撃が認められている。
アマレスはポイント制だが、プロレスにはそんなものはなく、反則が5秒以内までは認められるという無茶苦茶な競技(?)だ。そこに場外乱闘や凶器攻撃を考慮すると、同列で語ることすらためらわれる。
とはいえ、プロレスの基本技術はやはりアマレスにある。グラウンド・テクニックやタックル、後ろに反らせて投げるスープレックスと、それに対する受け身などはアマレスで養われる。そのせいか、三巨頭の後にはジャンボ鶴田、長州力、三沢光晴、秋山準、中西学というようなアマレス出身レスラーも多数輩出した。
でも、アマレスに染まっていないレスラーの方が、自由な動きが出来てプロレスでは大成するという説もある。そう考えると、三巨頭にアマレス経験がなかったからこそプロレス界を制した、とも言える。このあたりはプロレスにしかない特殊な事情だろう。
レスラーになる前、何をしていたか
力道山はプロレスラーになる前、大相撲で関脇まで出世した力士だった。アントニオ猪木はブラジルで砲丸投げなどの陸上競技をしていたところ、力道山にスカウトされてプロレスラーとなった。
ジャイアント馬場がプロ野球の読売ジャイアンツのピッチャーだったのは有名だ。だが巨人をクビになり、大洋ホエールズのキャンプに参加した時に風呂場で倒れて大怪我し、プロ野球を諦めてプロレスの門を叩いた。
しかし、その馬場は高校時代、最初は野球部には入部しなかった。入部先はなんと美術部。本当は野球部に入りたかったのだが、「16文」のスパイクがなかったのだ。
仕方なく1年間は美術部に在籍したが、二年の時に野球部の顧問が特注でスパイクを作ってくれて、晴れて野球部に入部した。この時、スパイクを作ってくれなければ巨人に入団することもなかっただろうし、プロレスラーにもなっていなかっただろう。
他のレスラーはどうか。今年引退した小橋建太は京セラ社員からプロレスラーに転身した。なんで一流企業を捨てて……、と思うが、なんとしてもプロレスラーになりたかったのだという。しかも最初は「格闘技の実績がない」という理由により書類選考で落とされていたのだ。それが「絶対王者」とまで呼ばれるようになったのだから、人生はわからない。
現在は衆議院議員の馳浩は、元々は高校の国語教師。ただしこちらはロス五輪のレスリング競技に出場していたので、プロレス界ではエリートと言っていい。
外国人レスラーでは、スタン・ハンセンがやはり教師を経験している。大学時代はアメリカン・フットボールの選手で、卒業後にプロ入りしたが、レギュラーで活躍するのは難しいと思い、安定した教職の道を歩んだ。しかし教師の給料も安く、つてを頼ってプロレスラーとなった。
そのハンセンと大学時代にアメフト部で一緒だった3年先輩のブルーザー・ブロディは、新聞のコラムニストという経歴を持つ。「インテリジェント・モンスター」と呼ばれる所以だ。
ハルク・ホーガンは、レスラーになる前はなんとロックバンドのベーシスト。しかし元々はギタリストで、全米一のギタリストになるのが夢だったが、バンドのベースが欠員となって募集したところ、やってきた男がホーガンよりもギターが上手かったのでホーガンはベーシストに転向させられ、ミュージシャンとして限界を感じたという。
そのおかげでプロレス史上に残るスーパースターになったのだから、ホーガンはギターが上手かった奴に感謝すべきだろう。プロレスラーにも様々な人生模様があるものだ。