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徳島県立池田高校が22年ぶりの甲子園!やまびこ打線栄光の軌跡

甲子園に帰ってくる池田

今年の選抜高等学校野球大会で、徳島県立池田高校が22年ぶりに甲子園出場する。センバツに限って言えば実に27年ぶりだ。高校野球雑誌などではいち早く池田が表紙になった。

今の若い人達は、なぜ池田がこんなに注目されるのか不思議に思うかも知れない。だが、1970~80年代にかけて、池田ほど鮮烈な印象を残した高校はなかったのだ。

監督・蔦文也の執念

池田の黄金時代、監督を務めていたのが蔦文也だ。蔦は太平洋戦争が勃発する前年の40年に徳島商業で甲子園出場を果たし、卒業後は同志社大学に進んだが、戦争の激化により学徒出陣。神風特攻隊に参加したが、出撃寸前で終戦となり生き残ることができた。もし、もう少し戦争が長引いていれば蔦は戦死し、池田が甲子園で大活躍することもなかったかも知れない。

終戦後、蔦は社会人野球を経てプロ野球の東急フライヤーズ(現在の北海道日本ハム・ファイターズ)に入団するが、僅か1年でクビ。郷里に戻って池田の社会科教師となり、野球部の監督も務めるようになる。

池田は蔦の母校・徳島商がある県都の徳島市からは遠く離れた山間部にあり、とても甲子園に出場できるような環境ではなかった。学校側の無理解もあり、野球部への強化費など出してくれない。蔦がプロ出身ということで白い目で見られる、そんな時代だったのだ。

県内最大のライバルは蔦の母校である徳島商。甲子園優勝経験もある名門校の分厚い壁に、池田は何度も跳ね返された。しかし、蔦は決して諦めない。打倒徳商・そして甲子園出場のために厳しい練習を繰り返した。今なら大問題になるような鉄拳制裁も辞さなかったという。軍隊経験者の蔦にとって、というよりも当時の日本の運動部では日常のことだったのだ。

そして71年夏、池田は宿敵・徳島商を破り、遂に初の甲子園出場を果たした。甲子園で池田は見事に初戦突破、二回戦は完敗したものの、蔦は満足だったようだ。そのため、次のような言葉を残している。

「山あいの子供らに大海を見せてやりたかったんじゃ」

大海とはもちろん、甲子園のことである。

イレブン旋風が吹き荒れる

74年春にはセンバツ初出場。この時の部員は僅かに11人だった。だが、少人数の池田はあれよあれよと勝ち進み、なんと準優勝を果たした。四国の片田舎から来た高校の快進撃に人々は「さわやかイレブン」と呼び、池田は快哉を浴びた。

しかし、実情は少々違ったようだ。蔦の指導があまりにも厳しすぎて退部する部員が続出し、結局11人まで減ってしまったのである。つまり、決して「さわやか」ではなかったのだ。

とはいえ、この快進撃が池田野球部の部員増をもたらした。徳島はちょっと特殊な県で、全国で唯一私立高校の甲子園出場がない。その理由として、徳島県立の高校には学区制がないということが挙げられる。従って、県立高校は県全域から隈なく好選手を集めることができるのだ。

甲子園での活躍により、池田への入学希望者が殺到した。だが、池田から遠く離れた地区からは通学できないので、後援会会長の自宅を改造した野球部寮まで出来た。強化された池田は79年夏にも準優勝。池田へ進学したがる野球少年がますます増えて、後の大ブームに繋がる。

やまびこ打線大爆発

82年夏、豪腕投手・畠山準を擁した池田は優勝候補の呼び声高く、颯爽と甲子園に登場した。期待に応えて池田は勝ち進んだが、畠山以上に注目されたのは豪打だった。圧倒的パワーで勝ち進み、見事に初優勝。イレブン時代のか弱いイメージとは程遠く、甲子園史上最強と謳われた打棒は「やまびこ打線」と呼ばれ、日本全国に池田ブームをもたらした。

やまびこ打線の秘密は、当時は珍しかったウエート・トレーニングにあった。ウエートをやると筋肉が硬くなり、野球に悪影響を及ぼすと思われていた時代である。

実は蔦も、ウエートには懐疑的だった。それよりも野球の練習に時間を割きたい、と。しかし、保健体育の先生だった高橋由彦がウエートの必要性を説き、蔦も渋々従った。そして効果はすぐ現れた。選手が怪我をしなくなったのである。これには蔦も大喜びで、さらに打撃面でも大幅に向上した。こうしてやまびこ打線は作られたのである。

池田は翌春も制して夏春連覇、その夏は史上初の夏春夏三連覇に挑んだが、一年生の桑田真澄、清原和博擁するPL学園に完敗し、夢は潰えた。だが、池田のパワー野球は高校野球に革命を起こし、やがて他の高校にもウエートの重要性が認識された。

ニュー池田

池田は86年春にも全国制覇を果たし、翌87年春に4強入り、92年夏には8強入りしたが、それが池田の甲子園での最後の姿となった。蔦自身もこの年を最後に監督を勇退、2001年に他界した。

そんな池田が今年、甲子園に蘇る。かつてのようにパワーで圧倒することはできまいが、ニュー池田をファンは待っている。

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