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粘りに粘ったお坊さん。本願寺顕如と石山合戦

石山本願寺と織田信長との対立は十年にも及ぶ長い争いです。敵対するに至った理由として、信長が石山本願寺の立地に目を付け(今の大坂城のある場所)、そこどいてと要求するも法主の顕如が拒否したためとか言われて
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豊臣秀吉の兵糧攻めその壱。壮絶!三木の干殺し

豊臣秀吉は水攻めや兵糧攻めのように、城を囲みじわじわ追い詰める戦法を幾度か取っていました。自軍の消耗を抑えるため、と言えば聞こえはいいですが、やられた方にすればなかなかに悲惨です。ここでは兵糧攻めのひ
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木下藤吉郎から羽柴秀吉へ。サルと言われハゲネズミと言われ

サルの愛称(?) で有名な豊臣秀吉。最近はハゲネズミのほうも認知度が上がってきました。それは置いといて「豊臣」は関白就任後に賜った姓で、以前は羽柴、さらに前は木下藤吉郎と名乗っていました。
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織田信長に良くも悪くも出会うより前の明智光秀の話

本能寺の変で時の人となった明智光秀。そんな彼が織田信長に臣従するまでの経緯はあまりはっきりしていません。 『明智軍記』には光秀の前半生も記されていますが、如何せん軍記物な上に書かれた時期はおそらく江戸
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1555年厳島の戦い。雨天決行!毛利元就の奇襲大作戦

奇襲戦として名高い厳島の戦い。毛利元就の智将っぷりを見ることができます。とはいえ定説は毛利方の記した『陰徳太平記』によるところが大きいため元就さん贔屓な仕様のようです。
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血に染まる姉川。織田徳川連合軍対浅井朝倉連合軍

織田信長とその義弟、浅井長政が正面から対峙した姉川の戦い。信長は徳川家康と、長政は朝倉景健との共同戦線で、激戦になったといいます。 織田信長の妹さん、お市の方は浅井長政に嫁いでいました。政略結婚とはい
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竹中半兵衛の逸話。稲葉山城乗っ取りと三顧の礼

竹中重治(半兵衛)には逸話が幾つかあります。というか早くにお亡くなりになってしまったこともあって史実として信憑性の高い記録はあまり残っていないのです。そんなわけで半兵衛さんの真偽のほどがよくわからない
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桶狭間の戦い。義元の油断なのか信長の実力なのか

織田信長の奇襲説が定説だった桶狭間の戦い。最近は『信長公記』の記述から、正面からの真っ向勝負だったというのが定説になってきています。『信長公記』は信長の側近だった太田牛一(ぎゅういち)の手になるもので
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家康31歳。おもらしは絵に描いてでも忘れません

江戸幕府を開いた徳川家康のおもらし事件は可哀想なほど有名な話になってしまいました。というわけで家康のおもらし話です。何か食している方(とくに味噌系)はいったん置いておきましょう。
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利休七哲だったり十哲だったりする十数人。ぼんやりなのも侘び寂び

千利休の高弟を利休七哲やら十哲やらと呼びます。この時点ですでにうやむやですが、面子も「後世の創作」にありがちな「入れ替え制」なので更にうやむやです。侘び寂びですね。そんなわけで彼らは七哲もしくは十哲の