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知ってた?あの国と日本の意外なエピソード

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2012.12.25

日本人は、過去の日本人がどのような行動を取り、どのような国と友好を築いてきたかを知らなかったりする。ここでは、海外のいくつかの国と日本の友好エピソードを紹介しよう。

トルコ

有名なトルコと日本のエピソードだ。1890年、日本の紀伊大島の樫野埼東方海上(現在の和歌山県串本町沖)で「エルトゥールル号遭難事件」という事件がある。

これは当時のオスマン帝国(この一部が現在のトルコになる)のエルトゥールル号が日本を表敬訪問した帰り道、暴風雨に見舞われ500名以上の犠牲者を出した事件だった。

船に乗っていた人は600人程度で、そのうち助かった人は69名。助けたのは近隣に住む日本人たちだった。

この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりとなった。このエルトゥールル号遭難事件は、後にトルコの教科書に載るほどトルコの人たちに感銘を与えた。

時はイラン・イラク戦争の最中、テヘランに残された邦人を救出することが出来ず日本政府は困っていた。撃墜の危険を顧みずチャーター機を派遣したのがトルコである。

当時の大臣が「エルトゥールル号の乗員を救出してくれたことに対する礼だ」と述べた。日本という遠く離れた国に、トルコの人たちは今でも友好的な感情を持ってくれているのだ。

ポーランド

シベリアはポーランド人流刑地として知られていた。ポーランドは独立を夢見ていたが、ロシアに阻まれてはシベリアに強制収用される歴史が続いていた。

1919年にはポーランドがロシアからようやく独立したが、ロシアは内戦状態にあり、極東の地には10数万人のポーランド人が住んでいたという。

ポーランド人たちは飢餓と疫病の中で、悲惨な生活だった。親を失った子供たちもいて、極めて過酷な状態に置かれていた。

翌20年春にはポーランドとロシアの戦争が始まり、孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは不可能になった。救済委員会は欧米諸国に援助を求めたが、ことごとく拒否。窮余の一策として日本政府に援助を要請した。

現地のポーランド人は「ポーランド孤児救済委員会」を組織した。副会長の若い医師ヤクブケビッチの勧めにより、日本で陸軍や外務省にポーランド孤児救済を依頼。依頼は外務省から日本赤十字に伝えられ、17日後には孤児救済が決定された。

その2週間後には帝国陸軍の協力で56名の孤児第一陣がウラジオストクから、東京に到着した。合計765名に及ぶポーランド孤児たちは、日本で治療や休養後、日本船により祖国ポーランドに送られた。

習慣や言葉が違う孤児たちを世話するにはポーランド人の付添人をつけのがよいと考え、日赤は孤児10名に1人の割合で合計65人のポーランド人の大人を一緒に招くという配慮までしている。

シベリア孤児救済の話は以後のポーランド国内で広く紹介され、多数のポーランド人からの感謝の言葉や手紙が届けられた。

そして、阪神大震災の翌年である96年夏、震災の被災児30名がポーランドに招かれた。およそ3週間に渡って、各地で歓待を受けたのだ。震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。

「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおしてやってきたのだった。

4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、震災孤児一人一人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。

台湾

日清戦争後の1895年~1945年まで、台湾は日本の植民地とされていた。その統治時代が結果的に台湾の教育水準を上げ、インフラ整備と経済発展に寄与したことで、日本は台湾を発展させた功労者と考える台湾人が多いのだ。

日本文化が全面禁止となった時もあったが、地下で日本の漫画やアニメが流行し、かえって日本文化への憧れを強くした。1994年に正式に日本のテレビが解禁され、「ドラゴンボール」「スラムダンク」のマンガは若者を中心に大流行した。

東日本大震災で、世界中の国々が日本を支援してくれたことに対し、日本政府は各国メディアにお礼の広告を載せて感謝の意を示した。

台湾は人口も少なく年収も高いとはいえない。しかし台湾からの義援金は160億円以上で世界最高クラスの支援だった。

しかし台湾に限っては、政治的に中国と別の国とは表だって述べることができないため、台湾の新聞に広告を載せることはできなかった。

そのことに多くの日本人が憤りました。日本人女性デザイナー木坂麻衣子さんは「台湾謝謝計画」を思いつき、実行した。台湾の新聞『聯合報』と『自由時報』に自分たちでお礼の広告を載せようというのだ。

Twitterで賛同者を呼びかけた結果、2000万円の寄付が集まった。目標額を上回った分は全て日本赤十字を通じて被災地に贈られたそうだ。

このエピソードに感激した台湾の新聞社は、広告掲載料代金を受け取ると新聞に広告を掲載した上に、その広告代金も全て被災地に寄付してくれたのだった。

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