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今の教科書では昔習った歴史上の人物の肖像画が別人に変わっている!

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2013.06.17

最近の教科書は、自分が習った以前とずいぶん違うらしい。歴史って、未来と違って、もう変わらないよね。普遍の世界、それが歴史だと思ったんだけど、どうもそうじゃないみたい。

最近では、遺跡が多く出土し、今までの歴史観が変わることは、確かにある。でも有名な登場人物は、それは変わらないだろう、それが普通の認識だと思う。

ところが、どんどん歴史の著名人の肖像画が別人らしい、そんな事がすでに教科書に掲載されるんだね。年号が違ったり、史実だと思われたことが、実は、物語だったとかするらしいです。

最近の教科書の肖像画が、みんな「伝~象」に様変わりになってしまった。当時の歴史学者が、数少ない資料しかなくて、言い伝えだけで間違えた、そんな所だろう。

まあ、ある肖像画が、それを所蔵する方から、「これはダレソレの肖像画にございます」と言われれば、そう思うしかないんだろう。たぶん箱書きにも、それらしい「ダレソレの画」と書かれていたんだろうね。

最近有名なのが、聖徳太子。着ている装束から時代が違う、という話で、昔の一万円札でなじみ深い自分にとっては、偉人かどうかよりもお札の方がモンダイだ。だから、違うと言われると釈然としないモノがある。従って今の教科書は「伝聖徳太子像」の記述になってる。さらに聞くと、聖徳太子の存在も疑問だ、そういう学説もあるらしい。

あの源頼朝もそうだ。実は興味を持ったのは、頼朝の肖像画が違う、そんな研究結果だ。これはずいぶんと以前から聞いていたよ。冠など装束が違って、足利武将との説もある。

横浜出身なので、年末は必ず鶴岡八幡宮にお参りに行った。もちろん頼朝ゆかりの八幡宮で、子供の頃から遠足でもたびたび行ったので、横浜でも人気スポットだった。

ところが、さらなる謎を聞いた。頼朝なんて、1199年没なのに、墓塔が建ったのは1776年と、600年近くも墓さえなかったらしい。島津家が建てたらしいけど。

現在のは1877年築と言われてる。ずいぶんと長い間、歴史の重要人物・頼朝の墓がなかったわけだ。だいたい歴史書には、落馬で亡くなったって、ちょっとマユツバっぽい。

しかも頼朝の亡くなったであろう年月が、その歴史書はその数年間だけ落ちて記事がない。年代が飛んでる。頼朝の死は無視ってところ?まずい話には、フタをするみたい。しかし地元の英雄・頼朝だけに本来の姿が出てくると嬉しい。

さて、足利尊氏の超有名な騎馬像もどうも他人らしい。まず馬具の紋が違うらしい。家臣の重臣の像らしい、との説があるが、教科書では、ただ単に騎馬武者像と記されているとのことだ。

銀閣を作ったとされる足利義政も紋が違う。どうも公家の方、という事らしい。

平清盛の嫡男、平重盛像も、最近ではこちらが足利尊氏象ではないかと言われるが、まだ疑問だ。

そういえば武田信玄像も違うらしい。出てくるね~いろいろ。畠山家の武将らしいが、地元ではこれこそ信玄公だ、とこうなるらしい。研究というより信仰だね。別人を毎日観てもしょうがないと思うけどね。

実は、同じ信仰の厚い上野の西郷さんも違うということで有名。鹿児島では、あの有名な肖像画が各家に飾られているという。

西郷さんの研究者は、西郷さんは痩せているということだ。肖像画は、なんと西郷なんて知らないイタリア人画家が、しかも本人に会ったこともなく、写真もないので、弟と別人を「コラージュ」して作成された。つまり西郷さんを全く見たこともない外人サンが、寄せ集めで作った、そういうことだ。これは、すべて史実ですね。

自分の話でかたじけないが、西郷さんの末裔の方にお会いしたことがあります。もち名字は西郷さん。ぜんぜん肖像画と違う、やせ形で、小柄でした。

どんな方かというと、これこそ西郷さんと言われる写真が良く出てきます。多くの明治維新の立役者の写真の中で、西郷さんの写真もあって、お会いした方は、それに近かったです。でっぷり恰幅の良い西郷さんではなかった。

歴史自体は、普遍だけど、それを正確に知る手順が進歩して、歴史は進歩してる、そんな確かな証拠が肖像画だ。今後も、これこそ確かと言われる写真や記事が変わることがある。

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