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古都京都の面白トリビアを紹介。いくつご存知ですか?【その1】

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2013.11.15

1000年の都、古都京都には沢山のトリビアがあります。銀閣寺はどうして銀箔が貼られていないの?京都のお寺に格付けがある?など、京都のトリビアを紹介します。

「おいでやす」と「おこしやす」はニュアンスが違う?

よく京都でお店などに入ると「おいでやす」とか「おこしやす」という風に言われることがありますが、これは「いらっしゃい」という意味です。

しかし、その二つ。実はニュアンスが違うのです。「おいでやす」は不意に来たお客さんや一見さんに使う言葉で、「おこしやすは」もともと心待ちにしていた言葉です。ですので、「おいでやす」と言われたら、あまり長居しないほうが無難です。

銀閣寺に銀箔が貼られていないのはなぜ?

皆さんご存知の銀閣寺は通称でして、本当は慈照寺と言います。その慈照寺にある観音殿が銀閣と呼ばれているので、慈照寺銀閣というふうに呼ぶのが正式な呼び方なんです。

室町幕府の八大将軍、足利義政が、祖父の三大将軍である足利義満が建てた北山殿(金閣)をモデルにして東山殿を作りました。京都中を巻き込んだ大きな戦争の応仁の乱の直後だったので、政治も経済も疲弊し、工事の進行状況はとても悪かったのです。

ちなみにこの応仁の乱は、京都人に前の戦争と言うと、太平洋戦争ではなく応仁の乱だという答えが返ってきます。そんな応仁の乱の影響で、結局八年かかって完成したのですが、足利義政は完成直前に亡くなってしまいました。遺言で、寺にする様にと仰ったことから、慈照寺というお寺になったんです。

ちなみに金閣寺も通称で、本来は鹿苑寺と言います。金閣寺も銀閣寺も、相国寺というお寺の敷地の外にある塔頭、つまり小型のお寺なんです。そういうのを境外塔頭と言います。どれだけ相国寺が大きなお寺かのあらわれですね。

ところで、金閣寺は金箔が全面に貼られていますが、銀閣寺は銀箔が貼りついていないですよね?様々な説がありまして、「昔は銀箔が貼られてたんじゃないか?」とか、「月の光が当たると銀色に見えるから?」という風流な説がありました。

しかし最近の研究で分かったのが、実は漆が塗られていたというものなんです。なので外観は黒かったんだそうです。「でも漆なんて、まったく長持ちしないじゃないか!」って思われますよね。

世の中に完全なものは無いということも踏まえて、最初からそれを分かっていて漆にしていたんだそうです。そのこだわりこそが、東山文化の結晶と呼ばれる所以なのかも知れません。将軍としては失格だと言われる足利義政は、文化人としては素晴らしい功績を日本の歴史に残しています。

京都のお寺に格付けがある?

この話は、京都のお寺の中でも臨済宗のお寺のお話です。実は、臨済宗には五山十刹というのがあります。五山十刹とは、臨済宗のお寺の格付けの事です。京都五山と鎌倉五山があり、京都五山について順位を紹介したいと思います。

【京都五山】
五山の上(別格) 南禅寺
 一位 天龍寺
 二位 相国寺
 三位 建仁寺
 四位 東福寺
 五位 万寿寺

【十刹】
 一位 等持寺(現在等持院)
 二位 臨川寺
 三位 真如寺
 四位 安国寺※廃寺
 五位 宝幢寺(現在鹿王院)
 六位 普門寺
 七位 広覚寺※廃寺
 八位 妙光寺
 九位 大徳寺(自ら離脱)
 十位 竜翔寺

です。ちなみに京都市内の北部にある大徳寺は、元々は京都五山に入っていましたが、足利政権との絡みで十刹に格下げされ、その後、自ら離脱しています。他にも「禅づら」と言って、臨済宗のお寺の雰囲気を表した言葉もあります。同様に紹介したいと思います。

南禅寺の武家づら(武家の信仰で繁栄したから)
相国寺の声明づら(お経がうつくしい)
建仁寺の学問づら(詩文に秀でた僧を排出していたから)
東福寺の伽藍づら(多くの塔頭と巨大な伽藍があるから)
大徳寺の茶づら(茶道との関わりが深いから)
妙心寺の算盤づら(組織運営が得意だから)

と、この様に臨済宗のお寺には、それぞれの個性を表す表現で民衆から親しまれているのです。

京都にも空襲があった?

太平洋戦争で「京都は空襲が無かったから文化財が残っている」と伝えられておりますが、実は合計6回も空襲を受けているんです。最初は東山区の馬町に爆弾が投下され、多数の死傷者が出ております。その後、右京区2回、北区、上京区と右京区にと空襲がありました。最後は上京区の西陣出水・正親地区に7発の爆弾が投下され、多数の死傷者が出ました。

この西陣の空襲跡の近くに「山中油店」という老舗があります。この界隈の方々が昔、「山中油店さんの土地で嵐山まで行ける」と言っていた程の規模の老舗。今でもその風格が十分に残る建物です。そのお店のショーウィンドウに爆弾の破片が展示されております。犠牲者を思うと「空襲は無かった」と無きものにする訳には行きませんよね。

この様に、京都には様々なトリビアがあります。京都は1000年の都と言われていますが、京都ほど都があった期間が長かった都市は日本において、他にはありません。

奈良時代が710年から784の長岡京遷都までですし、794年の平安遷都から、明治時代の1800年代後半までずっと京都に都があった訳です。その長い間に育まれた文化は様々な時代の変遷とともに年輪を重ね、古いものと新しいものが融合している都市となっているのです。そんな奥行きのある京都、探せばまだまだトリビアはあるんですよ。

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