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僅か1年で消えた5万人収容の球場が東京にあった!?

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2014.04.27

東京スタジアム以上の短命球場

 設備は立派なのに寿命が短かった球場といえば、オールドファンなら東京スタジアムを連想するだろう。大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)が本拠地にしていた球場で、東京都荒川区の南千住にあった。明るいナイター照明が評判で「光の球場」と呼ばれ、内野にも芝生を敷き詰めるなど超近代的な設備が売り物だった。

 しかし、この球場の命は僅か10年で果てることになる。名物オーナーの「ラッパ」こと永田雅一が私財を投げ打って建てた球場で、親会社の大映が映画不況のために球団を維持できなくなり、球団とともに球場も手放したのである。

 だが、それでも東京スタジアムは10年もった。実は、それよりも短い命だった球場があったのである。

戦後まもなく、東京に大球場が完成

 その球場とは、1951年(昭和26年)に完成した武蔵野グリーンパークだ。ちなみに正式名称は皮肉なことに「東京スタジアム」だった。相当コアな野球ファンでも「そんな球場なんて知らない」と言うだろう。それもそのはず、この球場は僅か1年で閉鎖されたのだから。

「じゃあ、よほど貧弱な球場だったのだろう」と思うかも知れないが、とんでもない。収容人員数はなんと5万1千人だったのだ。明治神宮球場や、当時あった後楽園球場よりも大きな球場である。今の感覚で言えば、東京ドームが1年で消滅するようなものだ。田舎の球場ならともかく、首都東京にあった大球場が、なぜ僅か1年で閉鎖されたのか。

 グリーンパークが開場する前年、プロ野球は2リーグに分裂し球団が急激に増えたため、東京は慢性的な球場不足状態に陥った。戦後に神宮球場が進駐軍に接収されたため、ほとんどの公式戦を後楽園球場で行っていたのである。

 そこで、東京の球場難を解消するために武蔵野市に大球場を建設することになった。それがグリーンパークである。グリーンパークは中島飛行機武蔵製作所の跡地に建てられた。

 5万1千人収容の大スタンドはもちろん、両翼91.4m、中堅128mとグラウンドの広さも申し分ない。両翼はともかく、中堅128mなど、現在の日本の球場でも遠く及ばない広さだ。

 国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルト・スワローズ)が本拠地球場として使用する予定だったようで、事実グリーンパークの近くに国鉄の「武蔵野競技場前」という駅が造られ、グリーンパークの開場に合わせて国鉄の中央本線の三鷹駅から武蔵野競技場線という支線まで敷設されたのである。

 球場の設備も良く、交通の便にも配慮した球場が、なぜ僅か1年で閉鎖されたのか。

立地条件の悪さが災いした球場

 こけら落としは4月14日。東京六大学野球の春のリーグ戦、慶応大×立教大だった。当時は神宮球場が進駐軍に接収されていたとはいえ、六大学の公式戦が神宮球場以外で行われるのは珍しい。

 プロ野球が初めて行われたのは5月5日、国鉄スワローズ×名古屋ドラゴンズ、読売ジャイアンツ×名古屋ドラゴンズという、今では考えられない変則ダブルヘッダーだった。

 華々しくデビューしたグリーンパークだったが、ネックとなったのが土埃だった。関東ローム層の乾いた土のうえ、当時の武蔵野周辺は田畑が多く、風がモロに吹き付け、さらに外野席も土盛りだったために、砂塵が舞うと野球どころではなかったのだ。

 そして、武蔵野という立地条件も問題になった。当時の武蔵野は都心から遠く離れた遠隔地、というイメージが強かったのである。そのため、集客には苦戦した。

 結局、8月19日がグリーンパークにとってプロ野球の最後の試合となる。秋には社会人野球の日本産業対抗野球大会(通称:サンベツ。現在の社会人野球日本選手権大会の前身)の試合が行われたようだが、グリーンパークの命もここまでだった。

 グリーンパークを運営していた株式会社東京グリーンパークは倒産し、主を失った球場は使用されず、ほったらかしにされてしまった。そして開場5年後の56年(昭和31年)に、グリーンパークは解体されたのである。さらに、グリーンパークのために敷設された武蔵野競技場線も球場閉鎖のために利用価値がなくなり、59年(昭和34年)に廃線となった。

生まれた時代が早すぎた幻の球場

 グリーンパークが短命に終わった理由は、時代が早すぎたからと言わざるを得ない。現在の武蔵野に5万人収容の球場があれば、相当な集客を見込めるだろう。武蔵野市は今や人口密度でも23区部と遜色なく、交通の便も良い。

 だが戦後まもない頃は、武蔵野は都心から遠く離れた田舎に過ぎなかったのだ。当時の人々は、催し物に行く時はよそ行きの服を来て都心まで出かけたという。野球を見に行くために、わざわざ砂塵舞う遠い武蔵野まで行く道理はない。

 もしグリーンパークが現在でも存続していれば、ヤクルトの本拠地はグリーンパークで、神宮球場は学生専用球場になっていたかも知れない。

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