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「母体を取るか、赤ちゃんを取るか」と選択を迫られたら!?~その2~

母体の命を優先された赤ちゃんの母親には心のケアが重要です

お腹の中で胎児の命を感じ体感していた妻は、心は既に立派な母親となっているのです。何よりも胎教を優先し、辛いつわりにも耐え、それでも赤ちゃんのために頑張って食事をします。重たいお腹を抱え、動きが辛くなっても、妊娠中毒症にならないように頑張って運動します。

最近は共働き夫婦が多いと言っても、産み月近くまで働いている人も多いのですが、それでもお腹を大切に守る生活が出産の日まで10ヶ月続きます。

こんなふうにお腹の中で大切に胎児を守っているのですから、妊婦である妻の心が既に母親となって、赤ちゃんとの出会いを待ち望んでいるのは自然の成り行きでしょう。この過程が男性には無いのですから、かわいそうな気もしますし、父親としての実感がピンとこないのも仕方ないでしょう。

それでも、赤ちゃんを流産してしまった、しかも、赤ちゃんの命を犠牲に母体の命を守ったのなら、妻の気持ちとしては、母親が子供の命を犠牲に生き残ったことになるのです。母性本能からはあり得ないことです。

もし5歳の子供と妻が池に落ちて溺れていたら、迷わず妻の命を選ぶ夫はいないでしょう。究極の選択で夫には選択不可能ですから、夫は両方助けようとするでしょう。5歳の子供にとっても胎児にとっても夫は父親ですが、胎児はまだ産まれていないので、情がないのではないのかもしれませんね。

でも、妻は違います。母親は、自分の命は二の次で子供の命を優先するのが普通です。それが母性というもので、いわば本能でもあります。その本能に逆らったのですから、妻は自分を責め、平常心ではいられないかもしれません。

私は経験が無いので想像でしか言えませんが、普通に流産しただけでも赤ちゃんがいなくなった喪失感から立ち直るのは大変でした。それが、赤ちゃんを犠牲に自分が生き残ったのなら、もっと悲しみは大きく、自分が赤ちゃんを殺したような、ものすごく強烈な罪悪感だけが残るかもしれません。

そうではないこと、赤ちゃんの寿命だったこと、赤ちゃんのために生きなければならないこと、そのことを妻に分からせるのは夫にしかできません。もしかしたら、妻は母体の命を選択したことで夫を責めるかもしれません。それでも妻の悲しみから夫は決して逃げてはいけません。一緒に辛さを乗り越えてあげましょう。

妻の悲しみをどうやって支えてあげたらいいのか!?

神様が夫婦に与えた試練かもしれません。試練を乗り越えた夫婦には、必ず幸せが訪れます。幸せの量はどんな人も平等なのですから、不幸な悲しみを乗り越えた夫婦には、サイクル的に次は幸せが訪れるはずです。その幸せをつかむためにも不幸は逃げずに乗り越えなければならないのです。

妻が失くした赤ちゃんのことを忘れることができないのなら、夫も赤ちゃんを忘れないで思い出と一緒に幸せになるしかないのです。一般的に、残された者が亡くなった者の思い出を大切にしながら生きるのは義務なのです。それが胎児でも同じことです。

夫にはまだ実感が無くても、妻と一緒に亡くした赤ちゃんを供養していく気持ちで妻を支えましょう。どんなに妻が心を閉ざしていても、夫が諦めなければ必ず夫の愛は伝わります。夫だけでなく姑・舅や両親周りの人達の思いやりを妻は感じ、時間がかかっても妻は自ら立ち直ります。それまで妻の心に夫は寄り添ってあげて下さいね。

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