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笑顔とあと一つ―準引きこもり社会人のメソッド・初客先編

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2014.05.01

初めての客先訪問で、初めての名刺交換を行った時の事である。念入に事前のリハーサルとイメージトレーニングを行っていた。何しろ初めての名刺交換である。ここから社会人生活が始まると言っても過言ではない。それほど象徴的な行動だと思う。

先輩にお客様を紹介され、私は名刺入れから取り出し、両手でしっかりと持って差し出した。「○○ソフトの、し、新人の高崎でごじゃいます。よろしくお願いいたしましゅ」

詳細は覚えていないが、私は第一声で噛み倒した。相手は「何だコイツ」という、何ともいえない表情で名刺を受取ってくれた。

「□商事の△△です」渡してくれた名刺には、取締役専務と書かれていた。地元では良く名の通った企業だ――ローカルではあるがCMもバンバン流れている。そんな会社の専務が相手だ。私は一気に緊張した。

そこからはどんな話をしたのかは覚えていない。まず、この時点の私には商品知識と言うものがまるでなかった。話の内容について行けるはずもない。外国語を聞いているような気分だった。一時間ほど話して、客先を後にした。

応接室は7階だったが、エレベータは使用せず階段を降りて戻った。

「高崎くん、今日の君は0点だね」

慣れない客先から解放された私に、正に冷や水の如く先輩からの言葉が掛けられた。やはり、自己紹介をとちってしまったのが不味かったか。

「いや、あそこは別にいいよ。専務はあまり表情を変える人ではないから分かりにくいかもしれないけど、結構笑っていたし」

あの何とも言えない表情は笑っていたのか。感情が読めない。表情に乏しいというのとは少し違う感じがする。
「君の悪かった点は、今日が初めての名刺交換だったことを相手に伝えなかったことだ」

最初、私は言われている意味が分からなかった。よくよく聞けば納得した。つまり、初めての名刺交換なんて一生に一度の事なのだから、大袈裟に相手に伝えて損ではない、という話だった。

何なら、初めての相手が専務で大変光栄です、ぐらいのことまで言えばよかったと。そう言われて悪い気がする人はほとんどいない―――このほとんどというのが、何事においてもミソである―――ああいう気難しそうな人ほど、そうするべきだった。

「それが自分を売り込むという事だよ。まだわからないかもしれないけど、営業の基本だ」

道理の通った話だと思った。同時に損したと思った。一生に一回しか使えない営業トークをふいにしてしまったのだ。先輩も分かっていたのなら、事前に言ってくれればいいのにと腹がった。

「敢えて私は言わなかったんだよ。これで今日のことは絶対忘れないだろう。次はチャンスを逃すな」何もかも見透かされた回答に、私はただただ肩を落とした。最後に先輩は一つだけ褒めてくれた。

「ただ、終始笑顔だったということだけは良かった。元気がある感じがして悪くない」話の内容が分からなかったからヘラヘラしてしまっただけだ。そこに戦術は無い。しかし褒めれるのは悪い気のしない事だ。

私は嬉しくて弾むように階段を降りた。パタパタと大きく響く、スリッパの音が鳴った。「君にはスリッパでの歩き方から教えねばいかんらしい」この時の先輩の何とも言えない表情は忘れられない。

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