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お釈迦様の骨が納められているストゥーパは日本にもある!

お釈迦様の骨の事を仏舎利(ぶっしゃり)と言いますが、骨はストゥーパというドーム状の大きな建物の中に入れられています。そのストゥーパは日本にもあるんです。

お釈迦様が誕生されたのは今から約2500年ほど前。仏教を作られ、それを広められました。そして今では経典や仏像によってその信仰を広げている訳ですが、実はこの仏像というのは、最初は作られる事が無かったのです。

仏像とは、お釈迦様をモデルにした像なのですが、お釈迦様のあまりの尊さに、仏像を作る事は最初はタブーとされていたのです。しかし、お釈迦様が亡くなってから500年ほど経った頃には、仏像無しで信仰を広める事に限界を感じ、それで仏像が出来たんだそうです。では、仏像が出来る前は、一体どんな方法でお釈迦様を拝んでいたのでしょうか?

実は、二つあります。一つは仏足石(ぶっそくせき)という足形をした石で、それを拝んでいたのです。もう一つが、ストゥーパというもの。ストゥーパというのは、いわゆる仏塔です。

マッシュルームの様な形をした大きな建物で、その中に仏舎利、つまりお釈迦様の遺骨が入っているのです。そういう大きな建物を建てる事によって、遠くからでもお釈迦様を拝める様にしたのがストゥーパなんです。では、ここで質問です。実は日本にもこのストゥーパというのはあるのですが、ご覧になられた事はありますでしょうか?

実は、ストゥーパとは五重塔の事なんです。五重塔が日本版のストゥーパです。ですので、五重塔の中には仏舎利が納められているという訳なんです。

しかし、お釈迦様は実在の人物です。インドとネパールの国境付近にあったシャカ族の王子様でした。実在の人物ですから、世界中に行き渡るほどの骨は当然ありません。日本にも本物の遺骨が来ているとも思えません。

唯一、日本書紀によると、奈良の飛鳥寺には仏舎利が海外から渡ってきて、現在も安置しているとなっていますが、仏教が日本に渡ってきた538年(552年説もあり)には、仏像と経典が渡ってきたとの記載しかありません。少なくとも飛鳥寺以外の日本国内に本物の仏舎利が行き渡っているはずもなく、実は遺骨に変わるものを納めています。

それが何かと言いますと、「生米」なんです。ですので、米の事をシャリと言いますよね。そして、この仏塔の下に骨や米を入れる習慣が我々のご先祖様を祭るお墓という形になる訳です。

この様に見ていきますと、我々が普段見聞きしているものも実は意味があったり、何となくスルーしていた情報も、様々な由来があったりするものなんです。

という訳で、最初は仏足石やストゥーパを拝んでいた仏教。その後、お釈迦様をモデルとした仏像が作られ、それが中国や朝鮮を経由して、538年に日本に伝わってきたという事なんです。

仏像は百済の聖明王から、日本の欽明天皇に送られました。日本書紀の記述によると、その時の日本が感じた仏像への印象は、とてもピカピカと輝いているというものだったのです。

最近見る仏像は、歴史を経て古くなってしまったために、焦げ茶色をした木像の仏像を想像される方が多い様なのですが、実は仏像は本来は金色に光り輝いているものなのです。

仏像の後ろにある光背というもの。それは光を表しています。保存状態が良い仏像なんかですと、体中の金箔が残っていて、その光り輝いている様子をそのまま表しているものもあります。

本来仏足石やストゥーパから始まった仏像も、作られてから2000年程経ち、日本に渡って来てからも1500年程経っているので、今では仏教と言えば仏像と思われがちですが、実は最初は作られていなかったというのは意外に思われるかも知れませんね。

是非、近くに由緒あるお寺があるのであれば、仏像を見に行って頂き、出来れば仏塔のあるお寺を探して、ちょっとだけ足を伸ばしてみられたらいかがでしょうか?それぞれの意味を知って見るのと、知らずに見るのとでは楽しみ方が変わる事でしょう。

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