世界遺産登録を目指す!世界最大級の墳墓を抱える百舌鳥・古市古墳群
古墳だらけの大阪府南東部
世界最大級の墳墓とされる仁徳天皇陵(最近では、仁徳天皇の陵墓とは断定できないため「大仙陵古墳」と呼ばれているが、本項では一般的な名称である「仁徳天皇陵」で統一する)。面積ではエジプト・クフ王のピラミッドを上回り、世界一の広さを誇る。
仁徳天皇陵は大阪市の南隣り、大阪府堺市にあり、この辺りに古墳が集中しているため「百舌鳥古墳群」と呼ばれる。百舌鳥古墳群の東側、大阪府羽曳野市と藤井寺市には「古市古墳群」があり、百舌鳥・古市古墳群は世界遺産登録を目指している。
筆者は大阪府南東部の南河内地方で生まれ育ったため、古墳など珍しくもなんともない。電車に乗るか、車で近所を走ればあちこちに古墳がある。しかも普段は古墳とは認識していなくて、木が生い茂った小高い丘があるなあ、ぐらいにしか思わない。この見慣れた風景が世界遺産になると想像すると、ちょっと不思議な気がする。だが、他の地方の人によると、古墳だらけの風景は珍しいらしい。
古墳時代に成立した大和朝廷
百舌鳥・古市古墳群が形成されたのは5世紀頃と言われている。この時期には巨大古墳が多く建造されており、歴史学的には「古墳時代」と呼ばれる。仏教伝来が6世紀(一説には538年)と言われており、それ以前の時代だ。漢字が輸入される前の日本には文字文化がなく、記録も残されていないので謎の部分が多い。
いずれにしても、卑弥呼が統治した邪馬台国の時代の後に大和国家が形成され、天皇を中心とした大和朝廷が日本を制圧したのが古墳時代とされる。ちなみにこの頃はまだ「天皇」という言葉はなく、「大王(おおきみ)」と呼ばれていた。
大和朝廷が成立したのは4世紀頃、奈良県の飛鳥地方(明日香村や桜井市、天理市など)で誕生したと思われ、事実この地域にも古墳は多い。しかし規模で言えば大阪府南東部の百舌鳥・古市古墳群の方が遥かに上だ。
大阪南東部、南河内地方は「近つ飛鳥」と言い、奈良県の飛鳥地方は「遠つ飛鳥」と呼ばれる。この近い、遠いは浪速(大阪)からの距離とされており、大阪の飛鳥の方が奈良の飛鳥よりも重要地域だったのかも知れない。
仁徳天皇陵と応神天皇陵をご紹介
仁徳天皇陵がある堺市は大阪第二の大都市で、政令指定都市でもある。仁徳天皇陵の周りもすっかり都会化されてきた。その中に忽然と姿を表す仁徳天皇陵は、前述の通り小高い丘にしか見えず、これが世界一の墳墓とはとても思えない。しかし、伊丹空港へ着陸しようとする飛行機から見ると、圧倒的な存在感がある。
仁徳天皇陵の南側には大仙公園があり、その中の堺市博物館には仁徳天皇陵に関する物が展示されている。入館料は大人200円(筆者が行った時はなぜか100円だった)と安いので、ぜひ立ち寄るべきだろう。
仁徳天皇が眠っているとされる拝所。奥の山が仁徳天皇陵。もちろん中に立ち入ることはできない。筆者が行った時には大勢のツアー客がいた
仁徳天皇陵から東へ約10km、羽曳野市に古市古墳群の中心的存在である応神天皇陵がある。こちらは仁徳天皇陵と違って自然豊かな場所にあり、牧歌的な雰囲気だ。仁徳天皇陵のように観光地化されておらず、訪れる人も少ない。規模としては仁徳天皇陵に次ぐ二番目の大きさだが、本陵のみの大きさでは仁徳天皇陵を上回る。
祀られているとされる応神天皇は、16代天皇である仁徳天皇の父。初代天皇である神武天皇が即位したのは紀元前660年となっているが、弥生時代に天皇制が確立されていたとは考えられないので、その実在性は否定されている。そこで15代天皇である応神天皇が実在する最古の天皇ではないかと言われているが、その真相はいかに。
応神天皇陵の西側から撮影。観光地化されておらず、観光客も皆無に等しい。外堀の水は干上がっている
いかがだろうか、百舌鳥・古市古墳群。電車で移動するのはちょっと不便なので、旅行の際にはレンタカーを借りるか、体力に自信がある人はレンタサイクルで散策しても良い。世界遺産登録となれば、旅行した価値はグンと上がるだろう。何よりも、未だに謎とされている日本史の神秘を味わえる。