人は笑うのを我慢することはできるが涙をこらえることはできない
「人は、笑うのを我慢することはできるが、涙をこらえることはできない」・・・私のiphoneのメモ帳に雑記されていたこの一語には、ハイレ・ゲブラセレシェと記されていた。
ハイレ・ゲブラセレシェという人物は、「皇帝」という呼ばれたエチオピアの長距離ランナーで、トラック競技やマラソンの元世界記録保持者である。だが、メモに残されたこの言葉が本当に彼のものであるのかどうかは定かではない。
よく、「つらいときも笑顔を忘れずに」というが、この言葉はまったくの逆である。人は本当に悲しいときはその絶望を泣くことでしか表現できない。
また、本物の感動を体験したときは歓喜を通り越して涙が溢れる。「感極まる」というやつだ。
我々は平和な時代の平和な社会の中で日々の暮らしを営んでいる。感情の振れ幅の小さな安穏とした世界の中にいる。笑うことも泣くことも忘れてしまいがちである。
人々は、理性で感情をコントロールすることが争いを生まない最善の方法であることを体験的に理解した。理性は社会を円滑に維持していくための重要な要素のひとつであると認識されている。
そして、平和な社会生活を営む中で「笑うこと」も「泣くこと」もある程度我慢できるようになってしまった。
しかし、人は安穏とした社会に身をおきながらも、「笑い」と「涙」を必要としているのも確かだ。コントを見て笑ったり、映画を観て泣いたり・・・「笑い」と「涙」は人間のもっとも原始的な感情表現なのだから。
ただ、日本男児という生き物は人前で「笑う」ことや「泣く」ことをよしとしてこなかった。
彼らの血を受け継いでいる現代の男子は感情表現が苦手でもある。とくに、「笑う」ことはできても「泣く」ことは恥ずかしいとされてきた。
たしかに、「泣く」のはカッコ悪い。でも、男だって泣いたっていいと思う。
ストレス解消のためだとか心の健康の為に泣くのがよいなんていうつもりはない。単に、感情を揺さぶられたときには「涙を流す」という表現があることを忘れないようにしておきたいのだ。
「泣く」という感情表現だけに必要以上にブレーキかけることはしたくない。普段は泣き言のひとつも言わずグッと涙を堪えていていても、本当に辛い時と嬉しい時は、男だって泣いたっていいのだ。
映画の結末に、スポーツの決定的瞬間に、美しい景色に・・・不意に心を動かされた時に自然と涙が出るような男はむしろ色気があってカッコいいと思う。
ただし、彼女にフラれた時は特別だ。そんなときは酒の力を借りて思いっきりカッコ悪く泣けばいい。