公式記録員の1日。独立リーグのダブルヘッダーはもう大変!?
公式記録員の仕事
野球ファンなら公式記録員という存在をご存知だろう。よくテレビ中継で「今のをエラーと判定しましたか。今日の公式記録員は厳しいですねえ」と解説者が言ったり、野球ファン同士なら「あれがヒット?俺が公式記録員ならエラーにしちゃうなあ」などと言い合ったりする。
だが、公式記録員の仕事はヒットやエラーの判定だけではない。試合中は片時も目を離さずスコアブックを付け、さらに記録の集計や送信などをしなければならない。自分の判定や記録の付け方で公式記録の全てが決まってしまうのだから、想像以上に重圧がかかる仕事である。
ある日、筆者は公式記録員になってくれと突然頼まれた。2009年のことである。この年に関西独立リーグが発足したが、シーズン途中にスポンサーが電撃撤退。発足早々に存続存亡の危機となってしまったのだ。
なんとか経営は続けられたものの、多くのスタッフが給料未払のまま辞めてしまった。そこで、ある人から公式記録員になってくれないか、と頼まれたのである。その人は筆者がスコアブックを付けられることを知っていたので、関西独立リーグの関係者に筆者を紹介したわけだ。
公式記録員デビュー
公式記録員としての初陣は神戸サブ球場だった。筆者の家からはかなり遠い。早めに家を出たものの、夏休み初日と三連休が重なったため高速道路は大渋滞。それでも、なんとか試合開始1時間前に着いた。
規則では公式記録員は試合開始2時間前に球場入りしなければならないので、本当なら1時間遅刻だが、ハッキリ言って2時間前に着いても公式記録員はやることがない。1時間ぐらい前にメンバー表交換があり、それに間に合えばいい。このメンバー表交換がなかなか楽しみな時間で、プロ野球(NPB)で活躍した人が監督を務めているので、挨拶ができる。
メンバー表交換が終わるとバックネット下の放送室に入るわけだが、ここには公式記録員の他にウグイス嬢やスコアボード操作係いて、さらにホームチームの球団スタッフらが動き回っている。
放送室内は結構賑やかで、しかもコアな野球通が多いから、マニアックな野球談義となる。メンバー表を見て、「甲子園で活躍した○○選手がここにいるの?××大学に行ったはずなのに、中退したわけか」なんて言ったりして。
もちろん、試合が始まると和やかなムードは一変する。何しろ公式記録員は1球たりとも見逃してはならない。普通のプレーならどうということはないが、エラーが重なったりすると本当にややこしくなる。
独立リーグはNPBに比べて守備レベルが低く、スコアの記入が実に難しい。試合が終わってスコアシートを共同通信に送っても、筆者の携帯に何度も電話がかかってくる。「このプレーを詳しく教えてください」と。先が思いやられる気がした。
しかも、次の担当は1週間後、淡路島でのダブルヘッダーと決まっていた。こんな試合が1日に2回もあるのか。断るべきだったか……。
地獄のダブルヘッダー
1週間後、午前6時半に家を出た。大阪府南部から淡路島まで、はるばる2時間半の旅である。休日の早朝とあってさすがに渋滞はなかったが、いかにも遠すぎる。
午前9時に淡路佐野球場の放送室に入ると、中にいるのは筆者を含めて3人だけ。即ち筆者と、ウグイス嬢と、球団責任者しかいないのだ。賑やかだった神戸に比べると、なんという寂しさだろう。要するに、淡路島でのダブルヘッダーなど、誰も勤務したがらないのである。
試合が始まると、スコアボード操作をするはずの球団責任者は雑用に追われて放送席から離れることが多く、スコアボード操作は筆者とウグイス嬢が交代で務めた。スコアを付けながらスコアボード操作をして、しかもヒットやエラーの判定をしなければならないのだから、忙しいことこの上ない。
第一試合が終わると、30分後にはもう第二試合が始まる。その間に記録の集計をして、共同通信にスコアシートを送って、第二試合のメンバー表を書き込まなければならない。弁当が支給されたが、とても食う暇はない。昼飯になるはずの弁当は晩飯となった。
空腹のまま迎えた第二試合もややこしいプレーばかり。しなくてもいい送球をして悪送球になったり、公式記録員泣かせのプレーが続出した。「いらん送球せんといて……」と何度祈ったことか。
結局、第二試合の終了は午後5時16分。しかもギャラは1試合いくらではなく日当という形だったので1試合分のみ。さらに交通費も「高すぎるので、ちょっと……」と言われ、結局値切られた。遠くから来ているのだから高いのは当たり前だ。でも、ギリギリの運営を強いられているのだから仕方ない。
結局、家に帰り着いたのは午後8時半。朝6時半に家を出てから実に14時間後のことだった。二度とダブルヘッダーなんてやるもんか!と心に誓ったが、また2ヵ月後に淡路島でのダブルヘッダーを担当することになる……。