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河井寛次郎の宇宙の陶器の世界は、京都で感じられる

河井寛次郎と言えば、意欲的な作品を作り上げる事で、世界的にも著名な陶芸家です。

彼の作品は、京都の記念館(http://www.kanjiro.jp/)を訪れると体験できます。陶器作家としての評価はさんざんあるけれど、今回は、建築家であり、インテリアコーディネーターでもある、彼の一面を見たいと思います。

記念館は、家と家具ともに、全て彼の設計によるものだ。椅子などは、陶器や焼き物の壺などを利用したスツールになっていたり、彼らしい工夫を凝らした内容になってる。

逆の例としては、アメリカのフランク・ロイド・ライトや、フランスのル・コルビジェなどは、建築家ですが、インテリアや家具・照明・カトラリーなどもデザインしてる。

ライトは、過去帝国ホテルを設計して、意匠や証明・装飾品や、インテリア、皿などのカトラリーもデザインしている。現在は、ただのコンクリートのホテルになってしまって、ライトの意匠は、レストランに一部あるだけ。もったいない気がするけどね。

河井寛次郎は、ジャンルでくくるとしたら、陶芸家以外では、民芸運動家でしょうか?ほかに濱田庄司や富本謙吉、棟方志功などがいて、民芸運動は賛否両論があるけど、河井も盛んに関わったようだ。

陶器で世界的に有名だけど、建築家でもあり、インテリア・家具設計もやる、多彩な芸術家なのは、実家が大工職人だった関係かも知れない。記念館の木材がいい感じの味わい深いテイストになってるし、木材には深いこだわりがあるのかも知れない。使ってこその、家であり家具であり、椅子である。

彼は、美術大学で窯業を学び、主に釉薬の研究に没頭したと言われています。後には陶器の作品を発表するが、大変な好評で、「釉薬の河井」という異名を持っていた。

唐の時代の作品を作り続けたが、同じ活動家の柳宗悦から作品を観て模倣に過ぎないと言った。柳が河井に李朝期の作品を見せている。その飾らない陶磁器の中に、感銘を受け、その後は河井らしい多くの作品を世に出した。

晩年、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリも、友人の川勝氏が出品した作品で、インタビューでは、これは、自分ではなく、この壺(白地草花絵扁壷)が受賞したので、私ではない、と語っている。作品に銘を書かない河井らしい話である。

庭には、送られた石の球体がある。球体は、もちろん星であり、宇宙でもある。どんな造形も、元は球体の寄せ集め、さらに最近の数学のトポロジーでもある。

河井の世界は、何時の間にか球体を形取っていて、まさに宇宙を感じていた、そう思います。

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