男たちよ、「女」と豊かに生きる術を学べ。性欲は命のやり取りだ
女とは、男にとって「自分に欠けている半身」だと言えます。磁石の陽極と陰極、電気のプラスとマイナスのようなものです。2つが出会って初めて完全な何ものかになれるのです。2つが出会おうとするエネルギーが、人間の生きるパワーの源泉です。あなたはその「女たち」と、どう付き合っていますか?
女がいなくちゃエンコする
地球は太陽に引っ張られています。公転による遠心力と、太陽による求心力とが釣り合った場所で、四季を描きながら自転しつつ「生きて」いるのです。
男は女に引き寄せられながら、いろいろなしがらみによって引き裂かれもして、くっついたり離れたり、愛したり裏切ったりの生活を展開させています。女という引力の全くない世界に移ったとしたら、男は多分、ガソリンをなくした車のようにエンコばかり繰り返すことでしょう。
性欲は命のやり取りだよ
性欲を否定したり、無視したり、軽蔑したりしてはなりません。卑しいのは、性欲に支配され、奴隷となり、人としての倫理と品格と節度を踏み外して、女に溺れてしまうことです。
性欲は古来、死と結びつきやすいものだと知っておきましょう。生殖行為は次世代を生み出すための行為です。種によっては、生殖行為そのものが親世代の死と直結しています。生殖したらすぐ死ぬという命がたくさんあります。性欲は命のやり取りなのです。極めて厳粛なものだと言えます。
文化の基礎にあるものは性欲
他の動物と比べて、人間の性欲は大きな特徴を持っています。複雑な社会生活の中で諸要素が絡み合った結果、人の性欲は急速に弱められていきました。そして繁殖期というものがなくなり、いつでも生殖可能な動物へと進化し続け、豊かな想像力によって、性欲がさまざまな文化の礎となりました。
美は一種の快感であると言えます。異性から得る快感が、各種の芸術美のベースになっていることは分かりやすいことです。「女性的なるもの」が男たちをどこかへ誘う風を吹かせています。甘い風に頬を撫ぜられて、優しいオヤジたちが鼻の下を延ばし切っています。宗教も多分に生殖をにじませていることは、いろいろな儀式を見てみれば分かります。
ブレーキのかかった性欲がいい
ただし、あからさまなむき出しのセックスは、動物レベルの本能にすぎません。それを昇華させ、人間的な創作に変貌させるカギは、教育にあります。教育は規制を教え、規制がセックスを文化にまで高めます。
規制といっても法律のことではありません。自制心のことです。ブレーキのかかった性欲でなければ、人間的とは言えないのです。
騙し合っても相補関係
男女といえども、競争もすれば戦闘もします。性差を乗り越えた、人間同士の師弟関係やライバル関係もあります。総じて人生は、男と女の「相補関係」で成り立っています。
「女の癖にでしゃばるな」「女らしく大人しくしていろ」という男の台詞は、ひがみ半分です。カワイコぶって男に甘える女の生き方も、ある意味自然で微笑ましいではありませんか。駆け引きも、騙しもあって、両性です。男が女の真似をしたり、女が男勝りだったりしたって、それも自然です。どんな生き方でもアリなのが、人生なのですから。
女特有のひがみもある
今の日本社会は、男社会と言われています。経済的にも男が有利でしょう。腕力に勝る男が、か弱い子女をしいたげて平気でいる例があります。就職などで、性差別もないとは言い切れません。憂うべきことです。
他方で、専業主婦を蔑む発言をする女権主義者などもいて、良妻賢母とか3歳児神話とかを目の敵にしているのはちょっといただけませんね。家庭で子育てに励むことのどこが退嬰的ですか。3歳児まではできれば母親がついていたほうがよいと言うことの、どこが差別発言ですか。
女性が社会進出して勇ましく活躍することは結構なことですが、他の生き方を否定するのは狭量にすぎます。それは女に特有のひがみだと思います。
女は男の宝物
魅力ある女性というのは、女性であることをきちんと踏まえて素晴らしい人間になっています。自分の性を捻じ曲げて無理に個性を創り上げても、多くの場合魅力的とは見えません。男も同じです。男であることを活かして男らしくあることが、魅力的な人間になる正道です。
世の男たちに言いたいと思います。性欲を培養してください。そして性欲を渋く自制して、多彩な女たちを愛し、慈しんでやってください。女は男にとって、「宝物」なのですから。末永く共存共栄していきましょう。