優秀な人は安定した職に就く?それとも起業する?意識の違いについて
優秀な人とはどんな人でしょうか?高学歴の人?もしくは起業して成功する人?もしこの2つが組み合わさっている人が優秀だとすれば、高学歴で起業して成功している人はごくわずかなようです。
また、学歴や仕事で結果を出していれば優秀かといえば、人間性や人柄なども優秀さに加わるとすれば、違う結果になるかもしれません。
優秀な人はどういう仕事に就く?
高学歴な人ほど安定した職に就くといわれたり、将来性のある仕事に就くといわれますが、全ての国がそういうわけではなく、起業する人が多いところなどでは優秀な人ほど起業するといわれているところもあるようです。
なので安定した職に就くから優秀と一言で言えず、そもそも優秀という言葉は劣等という言葉も意識しやすいので、だから劣等にならないように優秀になろうとする人もいるでしょう。
「こうしたら優れている」「こうしたら認められる」というのは一つの価値観であって、国によって優秀な人の見方が違うということからも、これさえやっていれば誰からも優秀だと思われるといったものはないかもしれません。
それより、なぜ優秀だと思われたいのか、なぜそこまで自分には価値がないと思っているのかを振り返ってみると気付きがあるかもしれません。
人から劣っているといわれても気にならない人は優秀になろうとする必要もなく、ただ自分のやりたいことをやる、それでお金持ちになっている人は沢山います。
自分らしい事をやろうとしたら、それは必ずしも周りから認められることじゃない可能性もあり、そこで劣っていると言われるのが嫌という人はいつまでも自分のやりたいことが出来ないかもしれません。
そうして人の目を気にして認められる、愛されることを目的として優秀になろうとすることは、ある限られた人たちからそう見られるだけで、他の人から優秀だと見られないとすれば、自分を条件付けの愛情で見る人、それさえやれば優秀だと見る人の言う通りに生きる人生はどうなのでしょう。
優秀を軸にするのか、好きを軸にするのか
優秀な人はみんな安定した仕事に就く、そう聞いた優秀になりたい人は安定した仕事に就くかもしれませんし、みんな起業すると聞いたら起業するかもしれません。
優秀さを人生の軸にすると周りの人が優秀だと言っていることを軸に人生の方向性を決めるために、他人の意見が軸になります。
もちろんそれが悪いわけではなく、他人の意見の大切なポイントは参考にして自分に活かすことも出来るでしょう。
ですが、他人の意見を軸にして生きるのが人生か?と聞かれるとちょっと違うように感じながらもどうやって生きればいいか分からない人も多いのではないでしょうか。
人生の軸をどうするのか自体、自由で制限がないため他人の意見が軸になってしまうのはしょうがないことかもしれませんが、その中でも自分の気持ちがどう動くかは軸の1つにしたいものです。
優秀と言われて安心感や優越感を感じながらも、それをやってる自分が楽しくなければ自分のための人生なのか他人のための人生なのか分からないところがあります。
自分のための人生にしたいなら、他人とは違う心で感じること、釣りをするのが楽しい人もいればスポーツをするのが楽しい人、パズルや積木をするのが好きな人もいます。
そうした人と違う心で感じることが、他人が決める優劣の判断に関係なく反応する自分のための人生を生きる上でポイントとなるのではないでしょうか。
優れた人になりたいという気持ち
ここでポイントとなるのは、どんな人も人から認められたい、称賛されたい、褒められたいという気持ちがあるということです。
それは定期的に出てくるもの、人によってはそれを原動力にして日々生活している人もいると思いますが、裏を返せば人から認められないと自分には価値がないと思っていることになります。
つまり、自分は愛されない、価値がないという怖れが根底にあり、その気持ちを感じないために頑張って認められようとしたり優秀になろうとしますが、その気持ちはそうして拭いさる性質のものではそもそもありません。
そうすることで一時的に無価値感を感じなくてもいいですが、人間である以上自然と出てくる気持ちなので、そこに優秀になるために行動したからといって消える、成長するといったものではなく、ずっと出てくるものです。
なので、どう無価値感と付き合っていくかがポイントで、これは自然なことだと理解し、無価値感が出てきたらそれを感じ尽くすようにしてみるといいでしょう。
それを感じたくないために動き回るのではなく、感じ尽くすと逃げ回るような嫌なものではなく、じんわり心で感じられることだと分かります。
このちょっとした違いが認められたいといった気持ちに振り回されるかそうじゃないかの違いを生むといえます。