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「自分らしく」と「自分のために」の違いを知り、一段深く生きよう

人は誰でも、何かに仕(つか)えて生きているものである、と感じることはありませんか。

会社人間は会社に仕えて生きています。国会議員は国家・国民に仕えて生きています。母親は乳幼児に仕えていますし、弟子は師匠に、部下は上司に、子分は親分に、それぞれ仕えていると言えるでしょう。

人は自分のためだけに生きられない

「いやいや、とんでもない、自分は何にも仕えてなどいないよ」と反論する声が聞こえてきます。確かに、自分のために生きていると言うのは、一見合理的できっぱりした態度だと言えます。

しかし誰かのために、何かのために生きることなしに、本当に自分だけのために人は生きられるものでしょうか?

永遠の謎――何のために生きるのか

第一、なぜ自分が生きているのか、誰が知っているでしょうか。宇宙があるのはなぜでしょう、地球が回転しているのは何のためでしょう、酸素があり呼吸をしているのは自分の意志でしょうか、腹が減るのはどうしてなのかは知らずに、万人がただ生きるために飯を食っているだけでしょう。

食べればなぜか成長します。生きていれば、何かにつけて喜怒哀楽が湧いてきます。全てなぜだかは分かりません。理由を知りたがっているその理由がまた分かりません。

自分自身を映す鏡はどこに

人は何ものか厳粛なる力によって「生かしていただいている」という感覚は、決して不自然なものではありません。眠っている間も息をし脈を打ち成長している命は、とうてい自分だけの管理下にある自分ではありません。命を管理してくれている「何か」に向き合ったとき、素直に「仕える」という感覚が滲んでは来ないでしょうか。

その意識は、とりとめない流れの中に一本の杭を打ち込むようなものです。自分らしく生きたいというとき、その自分らしさの核となるものがその杭だと言えそうです。意識というものは、絶えず「何かに対する意識」であって、意識だけの意識というものはあり得ないのです。自分自身も何かの鏡に映してこそ、初めて確認できるものなのです。その「何か」が「仕えるもの」だと考えてみたらどうでしょう。

神に仕えるのも一つの生き方

クリスチャンは、神に仕えて生きています。
日本人の多くは、自分に仕えて生きています。

だから、二つの民主主義は似ても似つかないのです。二つの自由は、提灯と釣鐘、月とすっぽんだと言われています。「神抜き民主主義」という言葉は、機械的な多数決ということで、現今の日本社会の落とし穴を指摘したものでもあります。

仕えることは自分を生かすこと

仕えるという心の姿勢は、屈伏していやいや誰かに服従することではありません。今どきの労働者は、社長に仕えるという意識はなく、企業に時間を切り売りして、その時間内だけは会社の指示に従うという態度ですから、人に仕えるのでなく金銭に仕えているのです。

しかし、もし進んで身を下に置き、愛する相手のために尽くすことに生き甲斐を感じられたら、それは素晴らしい在り方です。子供を慈しむ母親の心と同じです。そもそも仕える者が仕えられる者よりも優れていてこそ、本当の補佐ができるのです。誰か、あるいは何かを通して、自分を生かすことが「仕える」ことであり、そこにやり甲斐を見出しそのスタイルで生きていくことが、人生の神髄だとも言えましょう。

日本的生き方の醍醐味はこれだ

日本には日本特有の礼儀作法があります。謙譲の美徳と言いますが、外国の人にはやや少ない「遠慮」を尊ぶ姿勢が一つの特徴になっています。あからさまに自己主張することを、下品だと見なす傾向が強いわけです。むしろ一歩下がって、背後に立って為すべきことを為すのが日本的な優雅な生き方だとも言えましょう。

その意味から言っても、日本人の生き甲斐の醍醐味は表面に立たず、誰かの背後にあって、価値あることを成し遂げることにあると言うことができるかもしれません。「俺が、俺が」と言わない、控えめの美学です。

生き方を深めるために

夫婦もそうです。妻は夫の後ろにいて、夫に奉仕することで2人の志を果たすものなのです。それは夫の奴隷になり自分を殺して生きることとは全く別です。その逆です。夫に奉仕する姿がそのまま自分の生き甲斐なのです。

夫とて同じこと。妻を召使にして勝手に振る舞うのではありません。夫婦はお互いが支え合いお互いに奉仕して、2人一緒でなければ幸せになれないような関係で結ばれて生きるのが、本当の姿です。

「仕える」ということは、愛情と奉仕が共存して成立する生き方です。ただ夢中で誰かを愛するだけではだめです。奉仕という観念を持つことは、社会奉仕でもそうですが、人の生き方を一段広く深くするための核になるキーポイントです。「自分らしく」と「自分のために」を混同しているようでは、一皮剥けた大人の男にはなれません。

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