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イメージが作りあげる錯覚と思いこみが作りあげる真実

第一印象で感じたイメージによって、その人がどんな人かまで決めつけてしまうことがありますよね。イメージによってつくられる勘違い真実について考えてみましょう。

ドラマ「半沢直樹」の黒崎のイメージよって生まれた誤解

この間ドラマ「半沢直樹」の黒崎役を演ずる片岡愛之助さんがNHKのお昼のトーク番組に出ていました。

片岡さん曰く、「黒崎は全然悪いことしていないんですよ。真面目に職務を全うしているだけなんです。半沢が正義の人で、黒崎は相当悪者のように言われてますが、半沢の方が書類を隠したり、銀行を守るために悪いこといっぱいしてるんですよ(笑)」と言っていました。

黒崎は、オネエのイメージで「つぶすわよ!」が決まり文句ですから、これだけでも何だか悪者のような感じがしますよね。半沢の邪魔ばっかりしますしね!でも、黒崎は、金融庁職員として、1つも不正はしていないのです。

イメージが作りあげる錯覚や思い込みで世論は動くものです。その結果、いつの間にか、半沢直樹の行動が正義で、黒崎は金融庁の半沢の正義を阻止する悪徳役人のようなイメージが作りあげられてしまいました。

人の思い込みの恐ろしさ

人の記憶も錯覚や思い込みであやふやな所はパズルのピースを埋めるように作り上げてしまいます。人の記憶なんていい加減なものです。

そう考えると、女優さんも俳優さんも、ものすごく憎ったらしい悪役になれる人は演技力を誉められるべきなのに嫌われてしまって可哀そうなものです。

テレビの中だけならいのですが、こういったことが現実の世界でも起こり得るのです。世の中に伝わる真実なんていい加減なものです。何事につけてもメディアに振り回されず、自分でしっかりと考え吟味する必要があります。

空白を埋める脳の仕組み

そもそも人は目で物を見ているのではなく、脳で物を見ているのです。例えば漫画映画が良い例です。数千枚もの少しずつ動いたような静止画の連続映像です。その映像の欠けた部分を脳が続いて見えるように補っているのです。

例えば、本当の人の視野というものはピントが合っている部分だけがはっきりとしていて、その周囲はぼやけているのです。カメラの機能と同じです。

しかし、人はピントのぼやけた部分があると不安なので、脳がその周辺のピンボケ部分を修整して鮮明画像としてしまうのです。

この作用と同じことを脳は記憶・心・精神においても行います。これを「心のモジュール性」(ジェリー・フォーダーのモジュール)とも心理学の世界では言われていて、記憶の欠けた部分は記憶や想像力や判断と認識の機能の相互作用によって完成させると言われています。

例えば、子供の頃「雨の日に困っていたら傘を貸してくれた男の子がいた」という事実があったとします。

その男の子は女の子の記憶では「初恋の大好きな男の子」だったという美しい思い出となっているのですが、真実はその女の子に片思いをしていた全く別の男の子だったというような錯覚が実際に起きるのです。「記憶の置き換え」とも呼ばれています。

「心のモジュール性」と同じです。心の空白部分を自分の希望・願望を交えた想像力や判断で埋めているのです。

半沢直樹の黒崎への誤解も同じです。「つぶすわよ!」というオネエキャラのねちっこい性格の金融庁の役人が、金融庁調査で銀行の不正を暴こうとしているだけなのです。

しかし、その調査が半沢直樹の邪魔ばかりするので、まるで大和田専務と結託して半沢直樹つぶしを狙っているかのように視聴者に錯覚を起こさせてしまいます。

黒崎は、自分の仕事を邪魔する半沢直樹を目の敵にしています。それにたまたま恋に落ちた彼女が岸川部長の娘だっただけなのです。「岸川のパパが銀行を追われたら調査しやすくなるわね。でも、この結婚だけは邪魔させないわよ」と半沢直樹に言い放ちます。

黒崎が岸川部長と仲良くするのも「岸川のパパ」と言って頻繁に連絡を取るのも、将来義父となる人だからなのです。

確かに金融庁役人が銀行の役員と結婚すると職務上まずいこともあるのではないかと思うのですが、そんなことに関係なく、彼女を愛し結婚しようとしている黒崎は、実は男らしい愛に純粋な人のように思えます。

但し、「岸川のパパが出向したら仕事がやりやすくなるわ!」と半沢に言った言葉でも愛が覗えますね。でも、ドラマを見ている間は、半沢直樹を応援していますから、黒崎は、半沢の邪魔をする悪役にしか見えません。

黒崎のオネエキャラからも愛に純粋な男性のイメージはかけらもありません。人の思い込みが作りだす真実なんて本当に当てにならないものですね。

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