人間関係は適当なぐらいが丁度いい?頑張っても上手くいかない理由とは
人間関係が上手くいっている人といっていない人、その違いはどこにあるのでしょうか。
どれだけ頑張っても上手くいかないのが人間関係で、恋愛でも自分がどれだけ好きな気持ちが強くても相手にその気がなければいくら頑張っても上手くいかないかもしれません。ですが、頑張っているように見えないのに人間関係が上手な人もいると思いますが、この違いはどこにあるのでしょうか?
人間関係の影響力
人との付き合いは人生がガラっと変わるような力があります。好きな人に告白されたら今まで感じたことがないくらい幸せな気持ちを感じることもあるでしょうが、好きな人に振られたら逆に今まで感じたことがないような孤独感や寂しさ、いてもたってもいられないような気持ちが湧いてくるかもしれません。
それは友達との関係も同じで、意見が合う人とは仲良く入れるけど意見が合わない人と一緒にいると、イライラしたり喧嘩したり、そして喧嘩したら他の人より仲が良くなったりと、それだけ影響があるのにそれに関して詳しく教えてくれる人はいないのではないでしょうか。
また、仕事も同じで人と関わるのが嫌で起業したり自分なりに仕事をしたりしても、結局は人と関わることになり、その関わり方が変わっただけで、人との付き合い方によって健康状態にも影響がいきます。
それだけ気持ち的にも上下が大きい人間関係ですが、それをどう活かすかによって人生が180度変わってくるでしょう。人を騙してお金を取る人もいれば、人を喜ばせてお金を頂く人もいる。結局はどんなことでも人との関わりが大切になってくるなら、その質を高めた方がより良い人生になるかもしれません。
愛を与える
では、その質をどうやって高めればいいのかと考えた時に、普段から頑張るポジティブタイプな人はとにかく頑張ろうとするかもしれませんし、いつもコントロールするタイプの人はとにかく知識を詰め込もうとするかもしれません。
もちろん人それぞれよほど自分から他人との距離を置いていなければ、気が合う人とは会った事があると思います。ですが、全ての人と気が合う人というのはあまりいないかもしれません。もしいるように見えても、それは表面的に合わせているだけで、もっと深い付き合いになるとありのままの自分で接するのが怖いと思っている人もいるでしょう。
また、最初から人がちょっと怖くて人と会うといつも嫌われない自分を演じている人もいるかもしれません。その自分で合う人もいれば、合わない人、合うと感じていても相手が合わないと感じていることや、十人十色という言葉があるように、無限にタイプの違いがあるように感じることもあるかもしれません。
ですが、1つ共通して出来ることは、自分は愛を与え続けるようになるということです。なぜ、そうした人間関係の擦れ違いやトラブルが起こるのかといえば、それは自分と他人が育ってきた環境の違いによって身に付いた価値観や信念の違いによって話が噛み合わないことがあります。
ですが、それが分かってそのままにするのか、じゃあその違いも受け入れて相手が今までの自分では望まないことをしてきたとしても、自分は受け入れるようにしようと心に決めるだけでも、だんだんと自分の在り方が変わってくるでしょう。
自分の中には根強い過去の経験による心の痛みがあれば、それに引っかかる人を見るとそんな意思を忘れて昔の気持ちが蘇ってくるかもしれませんが、時間がかかっても愛を与える人になると決めると、受け入れられる人も増えてくると思います。
適当ぐらいが適度?
そして、それを実践していく時に受け入れようとする人は頑張っているでしょうか。逆に距離を置いているでしょうか。
それは、頑張っていなくて距離も近い、家族のような感じが相手をありのままを受け入れるような形になると思います。もちろん相手を家族だと思わなくても、自分が気にいらないような相手でも受け入れようとすると、自然と親密感や愛する気持ちが湧いてくるでしょう。
頑張って「愛を与えるから!」と言っている人は暑苦しく、適当でいいんだと逃げている人は逆にいつまでも相手に踏み込めなかったり、ちょうどその間ぐらいがちょうどいいのかもしれません。
そして、自分の中で受け入れられなかったことが受け入れられるようになり、それが当たり前になってくると家族でもわがままでも嫌なことを言ってきても喧嘩をしてもそれが当たり前で受け入れるかのような感覚になれば、人間関係での苦しみなども和らいでくると思います。
そして、いつも考えすぎていたなら、より軽やかに人と付き合えるようになるでしょう。