すぐに白黒つけず、ずっと観察する事で、本質に近づく考え方
生きていると、わからない事だらけです。わたしはもう30代半ばの年齢になるのですが、自営業なので、社会経験もなく、サラリーマンの方達のような社会常識は持ち合わせてはいませんし、恋愛や友達付き合いでも、あまり本気でやってこなかった人なので、経験値は浅いと思います。
ただ、わたしは思考が深く、いろんな事柄をじっくり観察する癖があるため、いろんな事を本質まで近づける事が比較的得意かもしれません。この力があると、わからない事だらけの状態になっても、本質に近づきやすく、答えを見つけやすいです。
なので今日は、すぐに白黒つけず、ずっと観察する事で、本質に近づく考え方についてお話ししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただきまして、すばらしい人生を歩まれてください。それでははじめようと思います。
ものごとに正解などないと気づく
本質や答えに近づきやすいからと言って、答えを知っているというわけではありません。わたしは、正直なにもわかりませんし、なんひとつ言い当てる事が出来たのはないと思います。
わたしが思うに、人間というのは、つかみどころのない生き物であり、この人はこうだ・・・と言い当てる事は出来ないと思います。
たとえば、わたしを例にあげてもそうです。わたしは、優しくて、繊細で、純粋で・・・などとよく言われるのですが、間違いではないです。
わたしもそう思う事は多々ありますし、そうゆう一面もあります。厳密には、そうゆう面が多かったという風に言った方が正確でしょうね。
わたしが思うに、人間の人格というのは、ルービックキューブのように多面体から成っており、数えきれないほどの多くの人格で形成されております。
わたしは優しいとはよく言われますが、わたしをひどいと言った人もいますし、人によってはとてもひどく解釈した人もいます。
わたしは今でもそれは誤解だと自信を持って言えるのですが、その人達がそう思ったのであれば、その人達にとってのわたしはそうだったのであって、その人達にとってはそれが正解なわけなのです。
つまり、正解がないというのは、すべての人間に対しての正解がないという事であって、個々それぞれの正解は存在しているのです。
わたしの友人達が、わたしの事を天使だと言う人までいます(笑)しかしながら、わたしが天使か悪魔かというのは、誰にも分かりません。なぜなら、わたしの行動や言動または思考ひとつで、わたしという人間は、天使にも悪魔にもなり得るからです。
たとえば殺人犯などでも同じだと思います。彼等も、いつもはおとなしくてとても良い子だった・・・などと表現される人は少なくないですよね。
これはウソではないのでしょうし、その人達にはそう見えたのだと思います。そして、本当にそうゆう面が多い人だったのかもしれません。
しかし、その反面、どこか破壊的な人格を持っており、そうゆう行為にいたってしまったというだけであって、いつもおとなしくて優しいからと言って、犯罪を冒さないというのは間違いなのです。わたしは、今後も犯罪をする気はありませんし、善人を目指しているので、人を恨んだりもしたくありません。
そしてやらないという絶対の自信もありますが、これは今の心理状態からそう言えるだけであって、たとえば、家に入って来た強盗に母親を殺されてしまったら、自分がどうなるかなんて分かりませんし、それで殺し返してしまえば、わたしも同じ殺人犯です。
もちろん、わたしはそれでもやらないとは思いますが、人間なんてどうなるかなんてわからないという事です。
ひとのふりみて我がふりなおせ・・・などと言う表現がありますが、他人の悪い面を反面教師にして自分に活かせるようなるといいですよね。そして、自分はそうならないように気をつける。幸せな人生のためにですね。
一生観察する
対象を観察する時に、答えを出さない方が良いです。決断は大事ですが、決断をする事と、答えを出す事は違います。似ていますが、厳密には異なるのです。
決断をするというのは、局面局面の大事な部分で、決めないと先に進めないからで、それはその時の一時的な選択肢に過ぎず答えではないという事を覚えておいてください。
たとえば、Aという一流大学、Bという就職に強い大学、Cという社交性が拡げられそうな大学があり、どの大学にすすむべきか迷っている。
これは実際にあった話ですが、わたしのいとこがこれで悩んでいました。そしていとこはAとBは落ちてしまい、結果的に一番行きたくなかった、C大学に行ったのでした。
しかし、彼はそこで、外国人との交流が出来るようになり、英語が好きになり、猛勉強し留学するまでになったのです。人生で答えを出す事なんて不可能です。なので答えを出さずに生きて行く事が唯一の正解のように思えるのです。