自分以外のものになろうとして、自分で苦しい人生にしてしまう理由
「あの人うらやましい」。そんな風に思ったことはありませんか?自分にはないものやこうなりたいと思う人。それはどんな人にもあるかもしれません。
そして、それがきっかけでうらやましいと思う人を目指して頑張ろうとする人もいますが、それはたんぽぽがバラになろうとしているようなもので、そもそも無理なこと、それをやればやるほど自分らしさを失うことにもなりかねません。
自分以外のものになろうとすることは、たとえそれが周りには凄い人に見えても、自分としては苦しいだけかもしれません。
たんぽぽはバラになれない?
「人間は無限の可能性がある」。自己啓発の本などにそういうことを書いてあるものもありますが、それを変に捉えてしまう人もいます。自分には無限の可能性があるから、理想とするあの人みたいになれる!と思うと、それが幸せになるか不幸せになるか、それくらいの正反対の結果を得ることになりかねません。
幸せになれるならいいですが、いくらお金持ちになってもいくら周りの人から凄いといわれる人になっても、それが自分らしい幸せじゃなければ、まるでたんぽぽがバラになろうとして頑張っているようにも見えます。
たんぽぽはたんぽぽの美しさ、バラはバラの美しさをそれぞれ持っていて、それはどちらが良い悪いではなくどちらも唯一片方しか持っていない美しさがあります。
それは人間にもいえることではないでしょうか。人それぞれ才能や良いところ、その人にしかないこともありますが、それが自分からしてみると当たり前で、特に優れているところと思わず、人によってはそれがコンプレックスになっていることもあるようです。
たとえば歌がとても上手で周りの人はうっとりするような声でも、本人は嫌いだったり、踊りが上手でもそれが自分では認めることが出来なかったり。せっかくの才能が分からず、認められず自分以外の人に憧れ、自分らしい人生を追求せずに他の人になろうとすると、たとえ実績がついてきても気持ちがついてこないでしょう。
成功や幸せという言葉を聴くと、とかく今の自分を変えようと思ってしまいますが、今の自分のまま才能を伸ばして自分にしかない美しさや輝きを周りの人に分かち合うことが、人生を生きている幸せではないでしょうか。
自分らしい喜びとは?
喜びには、自分らしさを追求することによって得られる喜びと、自分らしくない人生を追求して周りから称賛されて得られる自分らしくない喜びがあります。自分のやりたいことをやっていれば、それは周りから認められるか認められないかに関係なく幸せな気持ちを感じませんか?
ですが、自分のやりたくないことをしていれば、それは周りから認められるなどの喜びがなければ続けることが難しいかもしれません。ずっと続けられることは努力して毎日頑張ることではなく、自分が好きだから夢中になってやり続けることが出来るものではないでしょうか。
ですが、自分のやりたくないことを周りから認められるなどのモチベーションを動機としてやり続けることは、周りから認められないとモチベーションが下がったり努力しないといけなかったり、そもそも周りから「凄い」など言われることが喜びになると逆に批判する人が増えるなど、自分らしい人生といえることはないかもしれません。
ですが、それを自分で見極めるのが難しい場合もあり、周りから認められるのは自分なりに「貢献している」「これが自分の喜びだ」などと正当化することはいくらでも出来るでしょう。なので、自分の気持ちに正直になって自分らしい人生を追求することは大切です。
とかくお金持ちの人の生活や凄く健康的な人、テレビで活躍している人など見ると「こうなりたい!」という気持ちが出てきますが、それは価値のない自分に価値を加えようとして、たとえそれをしてそうなっても、そこに苦しい努力などがあると自分のそれまでの苦労を正当化するように、自分の凄みを主張してまた自分に価値をプラスしたい人を変な形で降りまわすことにもなりかねません。
変な形で人を振り回す?
強い高校の部活などを見ていても、熱血教師や怖い先生がつきものというイメージはありませんか?そういう人がいるから強くなるということもあるかもしれませんが、人間には自立と依存という関係がなりたつようです。
なので、必要以上に人に教えようとしたりその人がいないといけないというほど依存したりすると、そのバランスは悪くなり、表面的には良く見えても実はバランスが欠けているかもしれません。
そうなるとどちらも変な形で人を振り回すようになるので、相手に指導したり教えたくなる人はそれをしなくてもその人は大丈夫という信頼を持ち、依存するタイプの人はその人がいなくても自分で何とか出来るという自分への信頼を持つことで、自分が持っている力を発揮でき、それで周りの人を変に振り回すこともないでしょう。