自分の適性を知るにはイメージではなく何かをやってみること~後編~
私の人生の岐路は30代半ばにやってきました
30代前半で夫を亡くすという悲運に遭遇し、人生真っ暗な中、子供がいなかったせいで離縁となりました。まだ若いし子供もいないから人生やり直しなさい」という同居していた義父母の気遣いでしょうが、私の望みは夫と同じお墓に入ることだったので、随分悲しい思いをしました。
その寂しさを紛らわすために、また女性独りで生きていくために就職難のご時世で就職するために資格を取得し始めました。
法律関係の資格を手当たりしだいに取得したように思います。そして、弁護士事務所に就職し、今まで知らなかった様々な体験をしました。様々な他人の人生体験を見てしまいました。
今まで比較的裕福な家に育ち、祖父母や両親、親族の威光で蝶よ花よと育てられ、嫁ぎ先も資産家でしたから、30代半ばに世間に放り出され、親に頼らずに生きていこうとしたらそれは大変でした。
親の威光の無い所で私個人なんて、弁護士資格を持っていてもただのパート事務員です。おっとりした頼りない見かけで、「お嬢さま」「奥様」の肩書が無ければ、今まで経験したことが無いほどの意味の無い侮辱を受けました。
私のプライドが「侮辱」と感じただけで、傍から見ると、独身のアラフォー女性で小さな弁護士事務所のパートの法律事務員なのです。法律相談のできる弁護士とは夢にも思いません。すると、結婚もできない、仕事もできない、何にもできない女性です。
余計な厚意でお見合いを持ってきてくれるのですが、私の見かけに釣り合う条件の悪いお見合いばかりでした。弁護士であるという自負とお嬢様育ちの無駄なプライドによって、腹が立ちました。お断りすると世間は意地悪です。「選んでる立場じゃないでしょ」と必ず言われました。
でも、私は資格を持っていても何もできない見習いですし、育ちの良さと言えば聞こえが良いのですが、何事も人任せ、何もしない・何もできないプライドだけが高い厄介な年増のお嬢様だったのです。それに気付くのに2年かかりました。だから今の私は違いますよ!
このような試練を乗り越え、プライドと世間を知った頃、今の夫に出会いました。何と一廻りの歳の差を乗り越えて結婚しました。そして彼の転勤とともに知人の誰もいない土地へやってきました。
誰も知らないこの土地になかなか馴染めず、在宅業務としてWEBライターでお小遣い稼ぎを始めました。地元の弁護士事務所の法律相談コラムの手伝いもしました。それを続けていくうちに紹介や新しい仕事の依頼を受けるようになり、いつの間にかペンネームでコラムを書いている自分がいます。
フリーライターとして3年前とは比べものにならない報酬がつくようになりました。私は文章で夫から経済的に独立できているのです。
それでも私の報酬は貯金や娯楽のお金とし、夫の収入だけで生活しています。実は夫には多少のお小遣いが入っているくらいにしか思っていません。いわば私の大きなへそくりです。
小説家ではなく、エッセイを書いているような感じのコラムですが、私の夢は叶ったように思います。私は夢をかなえたのです。その下地となる考え方は、私の人生経験全てです。悲しい事も悔しい事も頑張ったことも全てです。
資格を利用して働いてはいませんが、私の資格は人生経験を得る道具だったようです。資格の取得はその資格をどのように役立たせるかは、本当にいろいろです。それに、私には法律家は似合いませんしね。
何故法律家を目指したか今になって思えば、「無知は罪だよ。親はいずれ先にこの世からいなくなるのに、いつまでもお嬢さまでどうする!?お父さんが亡くなった今、世間知らずの母娘では誰に騙されてもおかしくないぞ!常識として法律くらい知っておけ!」と知人に言われたからでしょうか。
その一言が無ければ私は法律の資格なんて私から最も遠いものだったでしょう。そして、資格を利用して弁護士事務所で働かなければ様々な方の人生もトラブルを見ることも、私のプライドが庶民に落ちる事も無かったでしょう。
オバサンのお嬢様なんてただの迷惑な存在です。あの知人の言葉が今の私の人生の岐路だったのかもしれませんね。でも、人生って、帳尻が合っているものですね☆