自分探しをするよりも、自分磨きをしたほうがいい理由とは?
自分探しの旅に出ても見つかりにくい理由とは?
本当の自分を探す為に、自分探しの旅の出るという人の話をたまに聞きますが、それで本当の自分が見つかったという話をあまり聞かないのはなぜでしょう?ごく稀に、海外に行って自分のやりたい事が見つかったという話は聞きますが、その人達は自分探しで海外まで行ったという人は少ないようです。
なんとなく海外に行ってみたとか、1回は行ってみたかったからだとか、見てみたいものがあったからだとか、本当の自分を探しに行くのが動機だったというのではなさそうです。青い鳥の話ではないですが、外に無いものを外に求めても得られないのかもしれませんね。
2人の対照的な若者の話
私が以前いた会社に、対照的な2人の若者がいました。1人はとにかく自分が何をすればいいのかという事がわからないので、今できる事をがむしゃらにやりながら人から勧められる本を読んだり、好きなスポーツに打ち込んだりしていました。
もう1人の若者は、やはり自分が何をすればいいのかという事について悩んでいました。しかし、他人のアドバイスを聞く事はなく、本当の自分とは?という事について日々悩んでいるようでした。そのうちに会社を辞めて、自分探しの旅へと行ったとの事でした。
月日は経って、最初の1人目の若者はぐんぐん会社でも実力を表すようになってきて、今では独立を果たし立派な経営者になっています。会社を離れてもたまに飲みに行く事があったんですが、若い頃は自分が何をしたいのかというものもわからなかったけど、とにかく本とスポーツに打ち込んでよかったと話していました。
スポーツが体力を支える基にもなっていたし、いいストレス発散にもなっていたとの事。勧められていた本も読んでいる時には理解できない事が多かったけれど、後から理解ができて再度読み直したりもしたとの事でした。実力をつけたら、次は独立して自分を試したくなったとも言っていました。
自分探しの旅に行った若者のその後はと言いますと、職を転々としながらどれも長続きする事はなく、今は心の病で入院をしているとの事でした。勿論、どちらが正解だったかという事は最後までわかりません。しかし、自分探しの旅をするよりも、まずは自分磨きから始めたほうが順番的には良いのかもしれません。
せっかく自分探しで自分が見つかったとしても、自分の居場所が見つけられないと宝の持ち腐れという状態になってしまう可能性もあるからです。それに、本当の自分が見つかったとしても、思い込みや勘違いという事も考えられます。
自分ほど自分の事はわかりにくい?
よく、自分はこれこれこういったタイプの人間ですと自らアピールする人がいますが、自分の事は自分がよくわかっているつもりであっても、実は自分自身ほど見えにくいものもありません。気にくわなくても、他人からの評価のほうが当たっている場合も多いものです。
それに、「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉もあります。これは、切磋琢磨をしている人間は三日でも恐ろしく成長するものだという意味です。自分はこういう人間ですという思い込みか勘違いで諦めたり、外に求めても得られない自分探しをするよりも、自分磨きから始めたほうがよいかもしれませんね。