ジャイアンのような不条理を排除する事によって無くしたものとは?
ジャイアン的な存在は時代と共に変化してきた?
ドラえもんに出てくるジャイアンというのは、乱暴者でイジメっ子という非常に理不尽な存在でもありますが、最近の小学校ではこのような存在は少なくなってきているようです。このジャイアン的な存在というものも、時代の移り変わりによって変化してきたという歴史もあるようです。
昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在と、昭和中期や後半生まれの人などが話すジャイアン的な存在は、乱暴者という共通点はあれど少し違うのが、昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在は、弱い者いじめはしなかったという事です。
昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在が、必ずしも弱い者いじめをしなかったか?というと疑問ですが、逆に弱い者を助けるという事はよくあったようです。しかし、そのジャイアン的な存在も時代の変化によって弱い者いじめをしたりするようになります。
恐ろしいジャイアン的な存在の登場
昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在が、多勢に無勢な者の味方をするのに対して、その後のジャイアン的な存在は自らが弱い者をいじめるようになりました。もちろん、ガラリと変わった訳ではないでしょうが、以前のジャイアン的な存在は段々と減っていったのはご存知の通りです。
しかし、教師がこのジャイアン的な存在を様々な手段によって矯正させたり、他の生徒が集団になっていじめを受けている者を守るという事も稀に見られました。それによって、改心?をしたジャイアン的な存在が、粗暴ではない存在に変わったという話も聞いた事があります。
ジャイアン的な存在は消え、その役割を果たすのは?
しかし、近年になるとこのジャイアン的な存在というものが、個人ではなくなり集団的な存在になるという事も多々みられるようです。こうなってしまいますと、ターゲットになってしまった者はたまったものではないでしょう。男の子も女の子も関係なくこういった現象が起こるのも時代の変化かもしれません。
以前でしたら、男だったら男らしく正々堂々と一対一で勝負しろ!と先生も言えたのでしょうが、今の時代にそんな事を言った日には男らしくってのは差別だどうだとかで、先生もいろんな所からいじめられてしまうようですね。それに、何があっても暴力はいけない!という教えに変わったようですし。
なぜ今のような現状になったのか?
確かに暴力がいけないのは事実ですが、そういった何がなんでも暴力はいけないという教育によって、余計に残虐で陰惨な事件が増えたのを不思議に思います。時代のどこかで、微妙な正論を大袈裟に解釈して意図的に全体を狂わせた感があるのは私だけでしょうか・・・。
また、リーダーシップを取れる人間を少なくする為には、今の日本の教育は最適といえるかもしれません。
最近のテレビのジャイアンについて
そういえば、今のテレビで放映しているドラえもんに出てくるジャイアンが、以前のジャイアンとは性格が変わっているのに気づいた人も多いかと思います。以前のジャイアンの理不尽さは減って、映画版のジャイアンに近い感じです。
昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在に近いのかもしれませんが、今の教育的に合わないのでギリギリ補正をかけたという事なのかもしれません。ひょっとして、今の教育的にはジャイアンの存在自体も消したいのかもしれませんが、そうしたら作品が成り立たなくなりますし・・・。
もしもそうだとしたら、それによって今のジャイアンが、昭和初期の生まれの人などが話すジャイアン的な存在に近くなっているのは、なかなか面白い現象かもと思う私、レモネード 純一でした。