同じことを言っても許される得な人、いったいどこが違うの?~後編~
「良い人オーラ」というものがある人がいます
私の個人的な見解ですが、「良い人オーラ」というのがあるのだと思います。見るからに「良い人」に見える人です。お人好しという意味ではありません。「ズルをしない人」「素直な人」「親切な人」という意味です。
女性の場合、いつもニコニコして騙されやすそうな人、信じやすそうな人は、「良い人オーラ」全開なのです。「そんなに人を信じて大丈夫?」「騙されるんじゃないか?」と男性が心配になるような女性です。
でもこういう女性は無防備に他人を信じているわけではありません。ちゃんと見定めているのです。何故見定められるかというと、ただ比べているだけなのです。育った環境が彼女に「愛される自信」を付けさせたのです。
そして、何の邪心も無く愛し、育ててくれた両親・祖父母・親戚・近隣の人々の自分への態度とどこが違うか、という直感で、「恐い人」「騙す人」を見抜くのです。
だからそうでない人へは、満身の信頼を向け素直に無防備に反応できるのです。こういったことを考えて動いているのではなく、「目が恐い」「なんか落ち着かない」とかいつも周りにいた人以外の表情・態度に敏感なのでしょう。
つまり、安心できるかそうでないかを直感で反応しているのです。評判の悪い人でも、その人の本当の人柄を見抜き信じることができ、その評判の悪い人にも鎧を脱がせることができるのです。
但し、これができるのは女性の方が多いのです。「愛情いっぱいに育った女性」は、自分に対し好意を持っている人は、肌でわかるのです。
しかし、自分を騙そうとしている人、悪意のある人、卑怯な人には、「今まで自分の周りにいなかった人」、つまり何だか違和感を覚えるのです。特に父親から無条件に愛された娘は、男を見る目は確かです。
その父親が仕事人としても権力を持った人間の場合、仕事をしている時の父の姿を見て信頼できる男とそうでない男を見る目が確実に育ちます。
これは、仕事をしている父親を鏡にする場合もあれば、反面教師にする場合もあります。極端な話、家族には愛情いっぱいのよき父親でも、外では権力を持った大悪党である場合もあるからです。
たまに男性でもこのような女性と同様な肌で人を見定めることのできる人がいます。多くの場合、お爺ちゃんっ子お婆ちゃん子であり、厳しい父親に育てられた男性です。
こういう男性は、祖父母から無条件の愛を全身で受けつつ、仕事のできる父親の姿とそんな父親も祖父母には逆らえない状態見て育ちますから先述した女性と同じ状態となります。
この「愛される自信」が「良い人オーラ」となり、美しい澄んだ目をつくるのでしょうか。そして、この「良い人オーラ」と澄んだ美しい目に人は無意識にも憧れを持ち、パーソナルスペースを越えさせるのではないかと思います。
「守ってあげたくなる可憐な女性」は本当は強い?
ここで男性諸君に言いたいのです。「守ってあげたくなるか弱い女性」は、ものすごく賢く、いざとなったら強い女性か、本当にバカな女性かどちらかです。でも、魅力のある女性は目にその魅力が現れるものです。魅力的な目を持つ女性は物事をよく見る賢い女性が多いのです。
愛される自信が有って、仕事のできる父親を持っている人は、仕事のできる男性を見分けることが上手です。何たって「仕事のできる男」を子供の頃から見ているのです。そして、仕事のできる気難しい父親の心を掴むコツを心得ているのです。
気難しい異性の商談相手や、上司に対し、あっという間に心を許させることができるのも、気難しい男性に対し、子供の頃から慣れているのでしょう。
これは容姿の問題ではなく、愛嬌と性格です。容姿は普通なのに、どんな場合も年齢に関わらず男性のパーソナルスペースをヒョイヒョイ超えてしまう女性は人間として魅力があるのです。長年培った愛される自信は最大の魅力なのです。
こういった女性は、信じて良い相手を見定める力を持っています。無防備に信じているわけではありません。
用心する相手には、ニコニコ愛想良くふるまっていても全く相手に心を開いていませんので、心配する必要はないのです。でも、こういう女性は見た目よりずっと逞しいので、実は頼りになるのですよ。
但し、本当に無防備に信じて騙されてしまうバカな女性も中にはいますので、そういう女性は見た目も賢そうには見えないので、守ってあげる必要はあると思いますが、パーソナルスペースを越えるほどの信頼を相手からえることはできないでしょう。