その訂正は必要ですか?相手のやる気を削ぐ連続否定行動に注意!
ですから、どうしても間違いを指摘する必要があります。でも、その指摘は相手のやる気を削いでしまう事が多いです。その間違いを指摘するのが何度も続くと教える側も教わる側も辛くなってくるものです。
この事は特に仕事で書類を作っていて感じる事があります。正式に書類として外部に出すような書類であれば、間違いを指摘して訂正する必要がありますが、そうでない内部資料もあります。
そんなときに思うのが「この訂正は本当に必要なのか……」という事です。書類といっても社内用であり、相手に意味が通じれば良いような物であっても正式な書式があり、それを外れていればすべて訂正しなければならない場合が多々あります。その訂正は本当に必要なのでしょうか?
ある経験では、社内用の書類で相手からは略字や必要事項以外を省略している場合があるのに、こちらから返送する書類では、すべてフォーマットが決まっていて、それに合わないものはすべて訂正されました。
中には、フォーマットでは略称を使う事になっている箇所を、略さずにそのまま書いた物を訂正させられました。それも、書類全部を書き直しました。修正液による修正はもちろん、訂正印による訂正すら認めてもらえませんでした。
このような意味不明の訂正は、現代社会に多いと思います。誰が決めたか分からないから、その状況をそのまま何年も使用し続けて、時代が変わってもその決めた理由が不明だからと残っている悪しき風習のように残っているものがあります。
そして、その意味不明なルールによってやる気を削がれる人は多いと思います。必要なのは、現在はその訂正は必要ないかもしれませんが、その訂正が必要になった状況を考えて、ルールを状況に応じて変更していく事だと思います。
また、ある程度ルールを変更する権限のある先輩となった人は、その訂正をしないで後で状況を把握した上で、今後の改善の案にするような対応を求められるかもしれません。
そんな訂正で新人のやる気を削いで、今後に影響を与えるくらいなら「その部分は確かに変だな、変更出来ないか検討してみるよ。でも、今回は直してくれないか?」と言えば、その新人のやる気にも大きな変化があると思います。
でも、実際にこの手の連続訂正って上司が生意気な部下をたしなめたり、出鼻を挫く事で上下関係を把握させるような意味もあると思います。上下関係の把握は必要な会社もあると思いますので、そこは臨機応変に対応してくださいね。もっとも、その上下関係の把握を「ブラック企業だ」と叫ぶ人も増えている気もしますけどね……。