競争するということの意味を考えるビジネスマンの強みとは?
他人のことを一切気にしない、我が道を行くというタイプの人は確かにいます。人がなにを言おうと、また何をしようと自分には関係がないと割り切って考えることができるというのは、一つの大きな長所なのでしょう。
少なくとも、多くの人が自分と他人のステータスを気にしている社会の中では、周りに振り回されないことは良いことです。
ただ、あまりに過度な我流を意識しすぎると、それだけで「あいつは空気が読めない」という不名誉なレッテルを貼られてしまいます。これが不名誉なだけなら別に良いのですが、場合によってはこれが仕事の評価に直結してしまうから恐ろしいもの。
仕事の能力とは直接の関係がなくとも、空気が読めない、周りに合わせないと言うだけで、仕事の能力についても勝手にマイナスの評価を下されてしまうのです。
私は一時期、このような考えを持っていました。すなわち、いわゆる「自由人」とか「我流を貫く人」を非難する立場にある人間は、自分が普通の人種であることを認めたくない人間なのだと。
どういうことかといいますと、自分の個性を発揮できない大多数の人は、普通であることがすごいこと、というふうに考えたいのです。だから、みんなに歩調を合わせない人、ちょっと変わっている人を、仕事ができるかどうかとは一切関係なく非難するのです。
空気を読まない自由人が、実際のところはバリバリに仕事をこなせる人だという場合はなおさら、空気を読まない人間を非難する人間の言葉の中には、「嫉妬心」が紛れているものとみて間違いないはずだと。
とはいえ、大多数は普通の人です。書く言う私自身も、間違いなく凡人の一人です。この世の中、間違いなく天才といっていい人種は存在しますが、それは全人口から見た一パーセント未満ではないでしょうか。私の経験則ではそのように考えられます。
自分には手の届かないはるか高みにいる天才については、はっきりいって、意識したり嫉妬したり、その反動から対抗心を燃やしたりするのは無駄です。自分の力や段階に見合った目標を立て、それを着実に消化していかない限り、夢はかないません。
仕事のできる人が身近にいると、どうしても嫉妬してしまいます。そもそもこの嫉妬心とは、自分の能力に自信が持てないからこそ、他人についつい向けてしまうマイナスの感情。
自分の人生に百パーセントの満足ができている人などいない以上、嫉妬心を持たない成人などどこにもいないと考えて間違いないでしょう。
端的に言うなら、かの大天才イチローだって人知れず悩みを抱えているはずです。なにしろ彼は、プロ野球選手として最高のパフォーマンスを発揮するため、野球以外のありとあらゆることを犠牲にしているのです。
例えば、一日中携帯ゲーム機を手に寝そべっているイチローなど、想像できますか?そんなことに時間を費やしていたら、野球人としての使命を全うすることができません。
だから、多くのゲーマーが当たり前のように消費している「ゲームのための時間」を犠牲にして、彼は日々の苦しいトレーニングに励んでいるのです。
この記事を執筆している私自身がにわかゲーマーでありますので、なんとなくゲームをたとえに持ってきましたが、これは一例にすぎません。要するに、彼は天才という称号を守るために、多くの「やりたいこと」を我慢して野球に励んでいるということです。
このような人と自分を比較して、闘争心を燃やしたところで意味がないのです。どれほど高尚な決意があっても、必ず空回りして挫折します。そもそも、競争という言葉を、自分と他者を比べるための物差しとして意識している間は、なにをやってもうまくいかないでしょう。
少年漫画のようで青臭く思われるかもしれませんが、現在の自分にとって最良のライバルとは、他の誰でもない「過去の自分」です。
昔の自分にはできなかったことが、今の自分にはできるようになった、弱点の克服や課題の消化のために、具体的にこのような努力をした――そういう達成感を得るためにこそ、競争という言葉を使うべきです。本当にできるビジネスパーソンは、誰に教わるまでもなく、このことを理解しているのです。
自分と同じような能力を持ち、自分と同じような目標を立てている人が身近にいないとは言いません。またそういう場合、心の中でひそかにライバル心を燃やすことが必ずしも間違いであるとは言い切れません。
いわゆる「負けず嫌い」の性格を持つ自分のメンタルをうまく管理して仮想のライバルを意識し、自分の弱さを見つめ、競争心を鼓舞し、それでうまくいっている人もいます。
けれども、私が今書いているこの記事は、他人との競争を意識しすぎてうまくいかなかった、これまでに苦い思いをたくさんしてきたという人にこそ読んでほしいのです。
なにしろ、私も過去に仕事で悩みまくった凡人の一人であり、今もなお悩みの種が尽きることはありませんから、仕事ができずに劣等感を抱えている人の気持ちがよく分かるのですね。
自分に仕事の能力がないと自覚すれば、どうしても、仕事ができる人が羨ましく見えてしまいます。けれども、他人と比較して競争心を燃やし、それで仕事ができるようになる人というのは、結局のところ初めから「仕事ができる人」なのです。この辺の見極めが非常に難しいですけどね。
仕事に行き詰まりを感じている人ほど、他人を意識せず、過去の自分と現在の自分を比較し、些細な欠点を少しずつ乗り越える努力をした方が賢明です。その努力の過程がどれほど地味で、どれほどカッコ悪くても、最後に笑うのはきっと、自分と競争して、自分のためにコツコツと努力ができた人です。
他人のことは、あんまり関係がないのです。重要なのは、今の自分がどれだけ頑張れるか。競争というのはつまり、そういうことだと思うのです