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「アイデア」は集合知によって磨かれる!発想法を鍛えよう!

どんな仕事にも「アイデア」不要なものはない。事務仕事などは一見単調なルーティンに見えるが、その作業の方法や組み合わせには色々と考える余地はあるだろうし、ほかとの連携を見直すことで変わる要素も多いだろう。

だから「アイデア」はなにも企画屋だけのものではないのである。権限がどうであろうが役割がどうであろうが、あまねく万人にとって「アイデア」を発想するチャンスと必要はある。

1 「アイデア」の性質

「アイデア」は抽象的なものである。いくらそれを欲しても、それ自体は幽霊のようなもので、実体がない。だから具体的なものとして店頭で「アイデア2つください」というように物理的に手に入れることは出来ない。

「アイデア」はそれ単独で自立しようとするものではなく、常に人の思考と対となって存立するものなのである。

2 「アイデア」とは「制約」と表裏一体

そもそも「アイデア」が必要とされるのは、現状に様々な不足や問題点があって、しかも多くの「制約」によってがんじがらめである場合だ。「制約」がない、もしくは少ないならそれほど問題ではない。

だが我々が暮らす環境は様々な「制約」でいっぱいだ。日本なら土地の制限がかなりシビアだし、資源も乏しいなどの「制約」がある。

そのなかで経済活動を行い、利益を増大させるには様々な知恵=「アイデア」が必要になるだろう。それはより小さな次元の職場や生活の場面であっても同じことである。

現行の「制約」を考慮しつつその中で講じられる方法を模索すること。これが「アイデア」の必要になる所以である。

3 どうやって得るか

「アイデア」は幽霊のようなものと前述したが、日頃自分が不足を感じ、あるいは不満や希求心を募らせているときにより発生し易いようだ。

その色々な不満を解消する方法を自身が思考したときにふわふわとわき出てくる。そして発想者の思考と結びつくことで「アイデア」は幽霊からやや実体を帯びたものに変容するのだ。

これはつまり、発想者がどういう問題を抱え、なにを見、なにを考えているかに比例したものしか生み出されないともいえる。発想者の思考力以上のものには成り得ないのである。

4 独創性と集合知

「アイデア」が独創的であれば、その発想者はそれの発展性や可能性、もしくは将来性とともに評価されることもあるだろう。

しかし、いくら独創的で可能性に満ちていても、それを他者の思考に伝播させて錬磨を繰り返さなければよいものには成り得ない。

「アイデア」は発端であって、それそのもので単独に存立しうるものではないと書いたが、発想されてから他者に伝播し、幾人もの思考を経由し、変容と錬磨を繰り返すうちに様々な可能性を生み出してゆく、という無限性を秘めたものなのである。

すなわち集合知の恩恵により、洗練されてゆくことの可能性に目を向けてほしいのだ。いくらよいものであっても、個人の思考の中だけで転がしておかず、他者にどんどんシェアしてゆくことが望ましいというわけだ。

5 「アイデア」の良し悪し

ところでよい「アイデア」とはどんなものだろう。

たとえばあなたがデスクワークをしていて、面倒な稟議書をたくさん作成し決裁をとらねばならないことに、効率性の観点から疑問を持ったとする。

どうせいつも同じなんだからこんなことやめちゃえば・・・と思う。だが、それを稟議により決裁してきたからには何か意味があるので、勝手にやめることはできない。

そこで決裁権者にこんな提案をしてみた。

A 書類作成に時間をかけるのをやめて口頭でいいことにしませんか
B 規則に準ずる必要はあるので、様式を変更して簡易決裁ができるようにしませんか

どちらも「アイデア」だ。だが決定的に異なるのは「制約(この場合は規則)」の存在を考慮しているか否か。

組織で動いている以上、ルールはそれを守るだけの意味があって作られている。日本社会における決裁は決裁権者の個人印をもって成立する場合がほとんどだ。Aのように口頭では完結しない。

そういう基本的なことを無視したものは「アイデア」としての価値を持たない。だからそれ以上の発展性は望めないものと思って差し支えない。

Bの提案には考慮の余地がある。だが、どういう方法が適切かは提案時点では完結していない。それに有意性があると判断されれば他者の意見が求められ、異なる思考フィルターを通して可能性が模索され始まるだろう。

このことが「アイデア」のシェアと錬磨である。結果が自分の望むものと異なる形になることもある。

しかし、それは他者とのかねあいの中で組織が運営されている以上含みおくべきことだ。自分の思うようにしたい、絶対譲れないという思いで「アイデア」を他人に突きつけるのは賢いやり方とはいえないだろう。

「アイデア」は個人で抱え込むものではなく多くの人々とシェアしあうものであり、個人の利益のためではなく、できるだけ多くの人々にとって利益となるように配慮されたものであるべきではないだろうか。

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