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豊臣秀吉の兵糧攻めその弐。戦慄!鳥取の渇え殺し

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2014.05.02

兵糧攻め第二弾。今度は鳥取の渇え殺しについてです。三木城には2年も費やしましたが、鳥取城は4ヶ月ほどで落とされました。三木の干殺しから秀吉もいろいろ学んだのです。とはいえむごいことに変わりありません。

追い出された鳥取城主

秀吉は三木城を落とすと、続いて因幡に進攻します。鳥取城主の山名豊国は尼子についたり毛利についたりする忙しい人でした。その時は毛利方になっていた豊国は秀吉に攻められ3ヵ月ほど籠城しましたものの秀吉に降伏します。

豊国は城を出て秀吉のもとへ行ってしまうのですが、「こいつ駄目だ」と愛想を尽かした家臣に追い出されていたとか、秀吉に豊国の娘さんが人質に取られていたからとか経緯は諸説あります。

どうであれ城主がいなくなってしまった鳥取城。重臣たちは毛利方に「誰か貸して」と頼みこみます。頼まれた吉川元春は吉川一族の経家を城将として送り出しました。経家の前にも何人か入れ替わりで城将として入っていたのですが、鳥取城側にもっと立場の上なやつを送ってくれと懇願されたとか何とか。

短期決戦大作戦

鳥取城を攻めるにあたり、秀吉は因幡領内のお米を太っ腹な値段で買いまくります。城の周囲の食糧を削っておくことで、長引くのを防ごうとしたのです。長引くと兵の維持にお金も掛かるし疲れるので、おそらくお米を買占めて短期決戦に持ち込んだほうがお得なのでしょう。

三木城同様、兵糧不足に陥った鳥取城内。百姓なども城内へ入っていたようで、あっという間に飢餓状態に陥ってしまいます。米も尽き、木草の葉をも食べつくし、牛や馬まで口にして、果ては人肉を喰らうところまで追い詰められます。

「餓鬼の如く」と言われるほど痩せた人々が柵へ寄り、助けを乞うて叫ぶ様は目も当てられないと信長公記にはあります。柵に寄った人が鉄砲で撃たれると、息のあるその体に集ってぶつ切りにし、肉を削いだとのこと。なかでも脳みそは良い味だと人気で、首は取り合いになったという生々しい話も残っています。

秀吉の徹底的な包囲により早いうちに追い詰められた鳥取城では餓死者も多く出て、いよいよ追い詰められた経家。城兵の助命と引き換えに切腹すると言って降伏します。

秀吉は信長に斯く斯く然々と報告。信長も異議はないとしたため、経家の願いは聞き入れられます。こうして経家は城内の人々の助命と引き換えに腹を切りました。秀吉は経家を切腹させたくなかったのですが、経家は腹を切ると言って退かなかったという話もあります。

助かったのに助からなかった

助かった城兵に秀吉は粥を振る舞いました。しかし飢えているところに急に食べ物を摂ったため、かえって死んでしまう人が相次いだそうです。秀吉はゆっくり食べるよう言い聞かせたらしいのですが、それほどに空腹だったのでしょう。

豊国のその後

一方、城主でなくなった豊国は秀吉に従い鳥取城を攻める側へ。後に秀吉の御伽衆となり、秀吉が亡くなると徳川家康につきます。もともと城主でも何でもなかった経家は享年35なのに比べ、豊国は79まで生きたとのこと。

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