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野球選手とは思えない新庄剛志の仰天伝説!宇宙人と言われた男

プロ野球界は、常人では理解できないようなとんでもない男達が集まる世界だ。だが、そんな中でも飛び抜けて常人離れした選手がいた。新庄剛志である。とても野球人とは思えないような発言や行動をしていた新庄は「宇宙人」と呼ばれたものだ。

一軍に上がっていきなり大活躍

1989年秋のドラフトで新庄は阪神タイガースから5位指名を受け、福岡の西日本短期大学附属高校から入団。甲子園出場経験のない新庄は特に目立った選手ではなかった。

新庄が入団した当初、阪神は暗黒時代の真っ只中だった。万年最下位だったが、新庄にとってプロ3年目の92年だけはどういうわけか開幕当初から首位戦線を突っ走った。ところが、5月に主力打者のトーマス・オマリーが怪我で戦線離脱。やっぱり今年も最下位かと阪神ファンが諦めた。ところが突然、ニューヒーローが誕生した。それが新庄である。

オマリーの代役として一軍入りした新庄は、先発出場した最初の試合でいきなり初打席の初球をホームランするという離れ業をやってのけた。このあたり、強運の持ち主である新庄らしいデビュー戦だった。

たった一打席でシンデレラ・ボーイとなった新庄は圧倒的な人気を得た。阪神は結果的には優勝を逃したものの、若い新庄は翌年以降の活躍が期待された。

突然の引退宣言

しかし、翌年からの阪神はまた元のダメ虎に戻ってしまい、暗黒時代は継続された。新庄も思ったほどには伸びず、主力打者としては物足りない成績が続いた。

上半身のパワーはあるものの、下半身がか弱い。なぜ下半身を鍛えるトレーニングをしないのか、と問われると、新庄は平然と言い放った。

「脚が太くなると、ジーンズが似合わなくなりますから」

誰もがビックリ仰天する理由だった。下半身を鍛えることが打撃力アップに繋がる、というのが野球界の常識だったからだ。ファッションが決まらなくなるからトレーニングしないなんて、とてもプロ野球選手とは思えない。

そもそも、それまでのプロ野球選手はファッションには無関心だったのだ。私服はポロシャツにゴルフズボン、これが野球選手のファッションだった。しかし新庄はブランド品を身に纏い、常にファッションに気を遣う。それが古い野球人には耐えられなかったのだ。

95年には、シーズン途中から監督代行となった藤田平から正座を命じられ、新庄は不信感を募らせる。その時、新庄は脚を痛めていた上、正座は野球選手にとって百害あって一利なしだ。

オフシーズン、新庄は突然引退宣言をする。「僕には野球センスがないから」というのがその理由だった。もちろん、本当の理由は藤田監督との確執だろう。だが、病気だった親のこともあって引退宣言は撤回した。

元祖・二刀流

99年、野村克也が監督に就任すると、新庄になんと投手になれと指令した。今でいう大谷翔平のような二刀流である。新庄の強肩を見込んでのことだろうが、本気で二刀流をさせようとしたのではあるまい。おそらく、投手の気持ちをわかってもらおうとしたのだろう。ただ、野村は新庄が投手向きの性格だと思ったのは間違いないようだ。

その一例が、敬遠球サヨナラ打だ。読売ジャイアンツの槙原寛己投手の敬遠球を新庄は飛びついて打って、サヨナラヒットにしてしまった。目立ちたがり屋の新庄の性格を野村は投手向きだと思ったのだろう。

大幅減俸でメジャーへ

2000年の暮れ、FA宣言をした新庄に対し、阪神は5年12億円という破格の条件を提示した。しかし新庄はこれを蹴り、年俸僅か20万ドル(当時のレートで約2千万円)でニューヨーク・メッツと契約する。12分の1の待遇でのメジャー挑戦となったわけだが、一説によると、新庄は0を一つ間違えたのではないか、と言われている。つまり、年俸2億円だと思っていたのに2千万円だったわけだ。本当だとすれば、いかにも新庄らしいエピソードである。

メッツに移って四番を打ったりしたこともあったが、やはり簡単に通用する世界ではなかった。おまけに新庄は英語が全然喋れない。だが、あるとき完璧な英語の発音をしたために、酷い目に遭ったことがある。

クラブハウスで新庄がブラックコーヒーを飲んだら、思わず言ってしまった。

「にが~」

新庄は黒人選手にぶん殴られた。「ニガー」は黒人に対する蔑視語だからである。

引退後の新庄

04年、日本に戻った新庄は札幌に移転したばかりの北海道日本ハム・ファイターズに入団した。北海道に日ハム人気を定着させた功労者と言っても過言ではないだろう。

06年、開幕早々に突然、引退宣言。今度は前言を撤回することなく、シーズン終了後に引退した。

新庄は現在、インドネシアのバリに住んでおり、野球とは無縁の生活を送っている。野球で成功した人は野球にしがみつくものだが、新庄には関係ないようだ。このあたりも従来の野球選手像とは全く違う、新庄ブランドと言えるのかも知れない。

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