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進化論やミトコンドリア・イブが何故先進国アメリカで否定されるのか?その三

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2013.05.15

神を信じることは人生に必要なことであり、それは人格や人生の一部である。敬虔で信仰心のある人は、やさしく、おおらかで、たくさんのものを神の名の下に許容しそして許し、特には包み込む。

立派な宗教人、人格者であるように聞こえる言葉だが、実際の宗教においては、あてはまらないことも多い。このケースも含めた過去の現実だけ冷静にみると、宗教の持つイメージとは、異なった宗教は許さない、許容しない、やさしくもなく、おおらかでもない事が多い。

つまり、この宗教内に属している人にはそうであるが、それ以外の属さない世界において話は別であるのかもしれない。歴史的にみても宗教は、常に戦争の火種となることが多い。そして現在もそれは同じである。それは、宗教の持つイメージとは、正反対の結果である。

だから本当の意味で敬虔な人がいないともいわないし、またそういう意味で尊敬できる人もいる。しかし全体的には、宗教は常に自分勝手で、自分たちの属していない人たちの事を考えない側面がある。

許さない神と輝かしい歴史の矛盾

この進化論は、神から許されない行為である。ミトコンドリア・イブを認めると言う事は、今も精神的記憶の奥底にある、家畜や家畜以下として扱っていたものを、自分たちの祖先として認める事になる。そんな表層意識または無意識下の拒絶もあるのではないかといわれている。

もちろん大多数の人に上の考えは否定されるだろう。こんな話をご存知だろうか?精神疾患やトラウマと呼ばれるものは、個人の病気とされるが、実は受け継がれているケースが多くある。この種の病気は、表層心理ではなく、人の深層心理の問題となり、自分では意識上気づく事が出来なかったりと大変やっかいなものだ。

深層心理は人の行動を縛り、ある行動をとらせる事が多い。何かに対する拒絶や過剰な反応の中のいくつかはそれらに起因すると言われている。そういった環境を引きずった大人に育てられた子供は、その大人の持つ禁固を嫌でも受け継いでしまう。

理由は大人がある事情に対して禁固があれば、子供はその禁固の中で育つ。その中で生活すれば当然その禁固は守られる形になり、そうして禁固は受け継がれるという仕組みだ。

だとしたら、表面では人種無差別主義の人や団体でも、心のどこかでまた解けきっていない禁固や心の鎖が存在するという事は十分に考えられる。ただ宗教に対して病んでいると言っているのではない、受け継がれるという話だ。

受け継がれる宗教心の形

神は全能である。神は全てである。神は一つであり私たちを永遠に守られる。素晴らしい言葉のように聞こえるが、裏返すと自分たちの信じる神以外は、神ではなく、それを強く信じれば信じる程、必然的に排他的となる。

その環境で育てば、やはり他宗教や他民族に対して、自分たちの信じる者以外を信じるもの、内側から見れば、邪教と言う事になり、我々の側では無い、別の人達、別の人間となり、我々の神が唯一であり、我々の文明も神によってもたらされた。

そう考えると、同じ神を信じない者は、つまり我々以外(神が創造した人)であり、野蛮人、未開の人々となる。そこに他文化に対する尊厳は生まれないし、新しい物への尊厳も生まれない。宗教とは一歩間違えれば、そう言った危険性を孕んでおり、人はそう言った危険な動物であるとも言える。

我々の中にも類似例があるかも知れない

話はだいぶそれたが、宗教と科学の関係は常に微妙なところでバランスを取っている。それは 世界一の経済大国でも変わりなく起きる事を証明している。

いろいろな事情やたくさんの理由がきっとあると思われるが、進化論やミトコンドリア・イブを信じない人達の心の中には、そんな上の者から純粋に受け継いで来た、自分では抜け出せない深層心理が邪魔をして、冷静に物事を見えなくなっている所はあるのだと思われる。

それは我々日本人についても同じ事が言える。ただ 対象がミトコンドリア・イブではなく、他のものになっているだけで権威主義がはびこれば、同じ事が起きる可能性もあると思われる。何故なら 権威主義は往々にして、そういった人の心を利用する事が多いからだ。

この経済大国で起きる科学の進歩の否定というものを、私たちも他人事ではなく冷静に受け止めて、対処していく必要がある。

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