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今の日本はオカルト好みから血の通った宗教観へ進化することが必要だ

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2013.11.23

ホラーだとかオカルトだとか陰陽師だとか、超常的な現象が相変わらず人気を博しているようです。オカルトブームというものを好意的にとらえて、次のような意見を述べる大人たちもいます。

曰く、若者たちは唯物主義・資本主義・拝金主義などの狭苦しい現実志向に夢を削られ、魂を荒ませている。砂漠の植物が水を欲するように、彼らはいい意味の神秘主義に飢えているのだろう、と。

オカルティストの幻想

一部の保守派グループの年配者たちは、社会の頽廃を嘆くあまり、いつかしら、宇宙的愛に満ちた心の時代が来ると信じようとしています。

その願望を下敷きにして、低級なオカルト好みを思い切り好意的に評価しようとする流れが、なくはないと思われます。まるでオカルティストたちの幻想が、この世の救世主を生み出すものであると、ほのかに期待するかの如く。

宇宙的な意思に期待

例えばエコロジストたちは、環境浄化のためのグローバルな人類の連帯を期待しています。その実現のためには、きな臭い現実のしがらみを乗り越える宇宙的な意思が必要になりますので、オカルティストの幻想に何となく身近なものを感じ取るのでしょう。

でも、エコロジーが近代を乗り越える力になると信じるような若者は、実は決してオカルティストになどならないはずです。UFOや大霊界や星占いやコックリさんが、来たるべき心の時代の予兆だととらえるのは、あんまりお目出度すぎる思考だと言えましょう。

何かに飢えている若者たち

ただし、現代の若者たちが、何かしら飢えかつえていることは本当です。その飢えから宗教にのめり込む者も、いるにはいることでしょう。

でも、その意味での飢えを満たす道具立てなら、宗教以外にもどっさりと用意されているのが現状です。それらは宗教からスピリットを抜き去った、言わば抜け殻のまがい物です。それでも飢えた魂にとっては、かっこうの遊び場になるもののようです。

宗教は代替物か

例えば、けったいなツィッターの類、出会い系サイト、怪しいスマホのゲーム、品の悪いブログ、マルチまがい商法、果ては自己啓発セミナーとかカルチャースクールの仮面をつけた不純なグループ、自殺ごっこ……etc。

ただし、それらが宗教の代替物だと言うのは、正確ではありません。現代のヤングエイジにとって、宗教はむしろそれらのうちの一つなのだと理解したほうがよさそうです。

アイドルとしての神

一部の若者にとって、神は、もはや絶対者などではありません。アイドルたちの中の1人にすぎないのです。次々に新アイドルが誕生して人気を競っているのと同じように、各宗派があって人気を集めているだけなのです。

オカルトの中に人生の意味などという視点は、もともとありはしないのですから。アイドルを追いかけるファンたちのどれだけが、人間の生き方をそのアイドルから学ぼうとしていると言えるでしょうか。

日常からジャンプするために

オカルト好みの人たちは、おおむね娯楽として楽しんでいるだけであって、神秘の奥に深い心を求めているとは言い難いでしょう。単に、平凡で退屈な日常から少しだけジャンプできそうな、何か変わった面白いものを物色しているだけなのだと思われます。

でも、奇抜な着想のSF映画などに感動すれば、宇宙をデザインする新たなマトリックスを脳裏に描いて、言わば自分が神になって、理想の宇宙を創造したいという願望も生まれてくるかもしれません。

スマホに出現するさまざまな神々を自由に操りながら、日本を取り巻く現実の胡散臭さを破砕していく快感を覚えるのも、あながち悪いこととは言えません。

血の通った宗教観

ただ、今の日本社会に欠けているものの一つは、血の通った宗教観、これだと言えるでしょう。元来、宗教観は人間にとって必須のものであり、神仏はお遊びの道具などでは、決してありません。

旅行の度に寺社を巡り、お札とお賽銭で暮らしを守ってもらおうとするお年寄りの習慣も、必ずしも否定すべきものとは言えません。それは実に日本的な神観念から生まれてきた慣習であり、西欧のゴッド信仰とはほとんど無縁と言ってもよい代物です。汎神論は低級であるという決めつけは、一方的な独断と見てよいのではないでしょうか。

日本人の自然信仰

古来の自然信仰に基づく日本人の信心の在り方は、むしろ清々しいものだと言えます。オカルトブームの心霊スポットと、そういう日本的信心とは、無縁のものと見るのが正しいでしょう。

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