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常識を疑う事で、本質にたどり着く方法

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2014.02.19

世の中にはいろんな人がいますが、人の数だけ常識があります。

一般的に言われる、社会常識や、法律というのは、これらの各々の常識を縛るために存在し、そうでもしなければ、みんながそれぞれ好き放題生きていたら、世の中はめちゃくちゃになってしまいますからね、それを統括するためにそのように力で押さえつけているわけです。

ですから、当然納得できないようなものもありますし、絶対に自分の考え方の方が正しい・・・という葛藤は生じるわけです。しかしながら、世の中に正しい間違いなどという観念は存在せず、すべての人間が正しく、すべての人間が間違っていると言えるのです。

今日は常識を疑う事で、本質にたどり着く方法についてお話ししようと思います。どうぞ最後までおつきあいいただきまして、すばらしい人生を歩まれてください。それでははじめようと思います。

常識で正しい間違いを測らない

ちょっと前に、えん罪で数十年刑務所に入れられて、人生が狂ってしまった人がいましたが、彼は無罪だったわけで、どう考えても彼は悪くないのに、法律は、社会は、誰かを悪者にしなければ、気が済まないというか、おさまりがつかないため、無罪の人間でもいいからとっつかまえて罪を着せようというのがあるわけです。

決着がつかないと気持ちが悪いのでしょう。彼はつまり、国の犠牲になったわけですが、こんなもの、謝られても許しようがありませんし、不運だったと思うしかありません。人生にはこのような事が幾度となく起きます。

わたしも、絶対に間違っていないのに、罪をなすりつけられた事もありましたし、とても悔しい思いをしました。何が正しいという観念で物事を測ると、苦しいので、すぐに手放しましょう。

常識というのは、偏見のコレクション

これは、21世紀の天才科学者、アルベルトアインシュタインが残した言葉です。つまり、常識というのは、若い頃に経験したり、誰かから聞いたりして自分が学んだ事を集めているだけのものであって、それは自分の中の正解であって、他人の正解ではないという事に気づかないといけません。

なので重要になってくるのは、柔軟性です。柔軟な対応で付き合う姿勢を変えて、どんどん自分が変わって行かない限り、困るのは自分自身なんです。

誰が間違っていて、誰があってる。そんな事は正直どうでも良いというか、本質にたどり着くには、主観にとらわれずいろんな視点から見れるフレキシブルな脳が必要なわけですね。

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