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スピリチュアルに依存する人が陥りがちな現実逃避とは?

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2013.07.06

体に癒しを与える考え方は薬やマッサージなど物理的なことを超えて、イメージトレーニングや瞑想、音楽や色、ヒーリングなど色々なところからアプローチするものがあります。その中には現在の自分よりも前の過去世や後の未来世といったところから話をされる方もいて、守護霊や高次の次元といった話をされる方もいます。

もちろんそうしたアプローチを受けてより自分らしい人生になったり心の傷が癒えたりすることもあるようですが、中には目に見えないものに依存しすぎてそこから抜け出せなくなる人もいるようです。

ニーズを満たすために依存する人

これは、スピリチュアルだけに限った話ではありませんが、人は専門的で他の人より優れたスキルを持っていたりすると、自慢したり無理やり教えるのが好きになったりします。ですが、それもバランスが大切で自慢ばかりしてくる人や押しつけがましく教えてくる人には、やはり好んで近寄りたいという人は少ないと思います。

スピリチュアルもその1つで、自分には他の人より優れた過去世、未来世があるということを話したり、自分の守護霊は誰よりも優れている、特別だなどと話すことで、自分の無価値感を満たすことが出来ます。

それも、目には見えませんしいつでも都合よく引き出すことが出来ることなので、それが自分の信念として行動の源になるなら別ですが、ただの自慢のネタにしてそこにずっと依存して自分は行動しないのであれば、使い方を間違っているかもしれません。

一人で留めておくならいいですが、中には専門的に教える立場なのに自分は特別という立場を最初に作り、教える側には自分のようにならないといけないということを教える人もいるようです。どんなことでもいえますが、「これが正しい、真実だ」という押しつけが、周りとの競争や比較を生みだす原因の1つのようです。

どんな考えを持っていてもその人らしい自由さがあると認めることが出来れば、自分の話を自慢する必要もないのではないでしょうか。その中から自分の話に興味があって一緒に学びたいという人と話を共有するだけでも仕事になるでしょうし、変な形で周りを巻き込むこともなくなるでしょう。

一部しか見ていない人

「これが絶対に正しい」という話は子供のころ、よくあったと思います。「自分の言ってることが正しいよ!」ということに限って、後から振り返ると間違っていたこともあるかもしれません。

たとえそれが正しかったとしても、それはそのルール上か人間が作った概念上での正しさであって、人間という幅広いところから見たら、何が正しくて間違っているかはありません。ですが、それを間違って捉えてしまう人もいて、どれも正しいなら何をしてもいいというわけではないと思います。

ですが、思いが強いほどそれが頭に入らなくなり、無理やり自分の考えを押し付けたり、あたかも自分が正しくて周りが間違っているという考えになる人もいます。

自己啓発の世界でも、自分はポジティブなのに周りはネガティブなのは周りが間違っていると主張する人はいますが、それは自己啓発でも一部しか見ていないかもしれません。その範囲は幅広く、ポジティブだけを勧めているところの数も減ってきて、今はバランスの大切さを説いているところも増えてきています。

そのレベルであれば批判してきたことを謝れば済むかもしれませんが、そうした一部のことだけを信じすぎて、そこに自分のニーズが加わると、変な形で周りの人に影響を与える人もいます。包丁は食べ物を切ることに使いますが、暴力として使う人もいて、どんなことも使い方をしっかり教えることが大切ではないでしょうか。

決めつけの言葉に注意

どれだけ凄いと周りから言われている人でも、実際にその人と会ってみるとがっかりするケースも少なくないようです。それは一部の人が凄いといっていたとしたら、一側面からしかアプローチ出来ていない人かもしれません。もし自分が相談する人などに話を聞いてもらうことで注意したいのは、「絶対」や「真実」といった決めつけの言葉を使っていることです。

もちろん聴き方や話し方によって、それはそこまで影響力がないことかもしれませんが、あたかもその人の話すことさえ聴いていれば大丈夫だという依存している人は、そうした言葉を軸に行動しがちです。ですが、そうやって二元論的な考え方で正しいものを意識してしまうと間違っているものが生みだされます。

そして、間違っているものは受け入れられず、受け入れているつもりでも自分のほうが有利な立場でいるといった考え方が生まれ、そうした優越感や嘘っぽい自信が考え方をごちゃごちゃにしていくようです。

それよりも、たとえば自分が受け入れられない人がいたら、なぜその人はそうするんだろう?そしてなぜ自分はその人を受け入れられないのだろう?ということを心理的、感情的に考えて自分も他人も対等なんだということが分かれば、そうした正しい間違いといった考えから生まれる比較などを生みだすことはないかもしれません。

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