他人への愛情を持つ事によって我を抑える方法とは?
ワガママな奴だな~と人から言われていませんか?
たまにでも、人から身勝手だとかワガママだとか言われてしまう事があり、自分でも我(が)を通してしまう事が多いかも?と思う人は要注意かもしれません。
我が強くて上手くいく事もありますが、我を押し通し続けてしまいますといつのまにか一人ぼっちになっていたという結果にもなりかねません。
ワガママな理由を考えるよりも、これからが大切です
自分の意見を言えるというのは大切な事ですが、是が非でも自分の意見を押し通してばかりいるのとはまた違います。
自分の主張を表現できるが、その主張が聞き入れられないと嫌だと思うのは、単なるワガママでしかありません。そこには、他人への譲歩や思いやりといったものが欠片もないからです。
小さい頃から何でもワガママを聞いてもらえたという場合には、そのような環境を作った人にも責任がありますが、いくら責任を取れといっても時間を戻す事は人間にはできません。それよりも、これからどうするのか?という事のほうが重要でしょう。
一人ぼっちの辛さとは?
そこまで酷くはないが、多少はワガママな部分もあるから直したいと思う人もいるかもしれません。まずは、ワガママというのは自己中心的であるという事ですので、そこには他人への愛情が無いという事に気づきましょう。
人間ですから、たまにはワガママを言いたくなる時もあるでしょうが、あまりにも酷いと一人ぼっちになってしまい、たまのワガママを聞いてくれる人もいなくなってしまいます。
我を抑える為の方法とは?
無償の愛情を与え続けてくれるという他人は滅多にいませんので、まずはお互い様という事から始めてみるのもよいでしょう。
譲歩してもらう事があったとしたら、次の機会にはあなたも譲歩をするというようにしてみましょう。そこから思いやりという気持ちも目覚めてくるかもしれません。
気をつける点は、譲歩や思いやりの回数をあまり足し算や引き算で考え過ぎないという事です。
よく、あれもしてやったのにとか、これもしてあげたのにという言葉が多い人というのは、本人が友達と呼んでいる人達がコロコロと替わっている事が多いはずです。
これは、他人への愛情があると周りにアピールするという目的もあるでしょうが、愛情ではなく単なる打算なので人付き合いも長続きしにくいという訳です。
これから我を抑えようと思っている人は、この打算と愛情の違いにも注意しましょう。パッと見はよく似ている場合も多いですから。
愛情が愛情であり続ける為にはどうすればいい?
本当の愛情というものは、与えた事に関して後からとやかく言わないものですので、相手からの反応や結果が思わしくなかったとしても、その事に対して怨みつらみを言わないようにしましょう。
せっかく初めは愛情で入った気持ちが、我で終わってしまうと何にもなりませんからね。他人への愛情を持って、愛情で完結できるようになれば人も向こうから寄ってくるようになって、たまのワガママでも聞いてくれるようになりますよ。