竹中半兵衛の逸話。稲葉山城乗っ取りと三顧の礼
竹中重治(半兵衛)には逸話が幾つかあります。というか早くにお亡くなりになってしまったこともあって史実として信憑性の高い記録はあまり残っていないのです。そんなわけで半兵衛さんの真偽のほどがよくわからない逸話です。
稲葉山城乗っ取り大作戦
半兵衛は病弱で線は細く、女人のようだったために主君の斎藤龍興に侮られていました。ある日、龍興の家臣に櫓の上から小便をかけられるという事件が勃発。穏やかな半兵衛は腸の煮えくりを抑え、黙して帰ります。
その後、武士としての沽券に関わると言って舅の安藤守就に協力を仰ぎ、龍興をぎゃふんと言わせよう作戦を決行。まずは稲葉山城に人質として入っている半兵衛の弟に仮病を使わせ、その見舞いと偽って城へ入ります。
お供を入れて16か17人ほど。見舞いの品というつづらの中には武具を忍ばせています。疑われることなく城内へ入った半兵衛は弟さんの居室にて武装し、要人を斬り倒していきます。たった十数人だとは露も知らず、大軍が来たと大混乱に陥る城内。
半兵衛はその隙に鐘を鳴らさせ守就に合図を送ります。守就は2000程の兵を率いて城内へ突撃。ほどなく城を乗っ取ります。織田信長が数年間落とそうとしても落とせなかった稲葉山城を、半兵衛はちょちょいと落としてしまったのです。
荒療治なのか見切り発車なのか
半兵衛は龍興をこらしめたかっただけなので、反省したならいいよとお城を返して隠居してしまいました。という話は美談として有名ですが、どうやら本当は本気で乗っ取ったものの協力してくれる人が思ったより集まらず、維持できなくなって城を出たのだろうというのが最近の説です。
三顧の礼
秀吉は三度と半兵衛のもとへ通い、半兵衛もその心意気にほだされて織田へ行くことを承諾した・・というのは某三顧の礼として後世の人が拝借したのだろうともっぱら言われています。ともあれ半兵衛は信長に臣従、そして秀吉と行動を共にしていくのです。
いっそ漏らせ!
ある日、半兵衛は戦語りを息子さんにしていました。息子さんが途中で厠に行くと、帰ってくるなり半兵衛に怒られます。「漏らしていいから話の途中で立つな。戦話に聴き惚れて座敷を汚したならば我が家の名誉だ」と半兵衛は息子に言い放ちます。病弱でも心は武士。息子さんがその後漏らしたかどうかは定かではありません。
お馬さんの話
「立派な馬に乗っていると、戦場で馬を惜しんで期を失ってしまう。もし十両で馬を買おうと思ったならば、五両の馬を買うといい。敵を見つけたときは迷わず馬を捨てて臨み、残りの五両でまた馬を買えばいい」という半兵衛。財など塵芥とも思わない心がけこそ武士の本意とのこと。見た目と違って全然女々しくないです。
盛られている説
享年36、肺の病だったと言われる半兵衛さん。後世のよいしょもあって逸話は多いですが、実際のところどうなのかはよく分からないのです。