人は死んだらどうなるのか?魂は存在する?しない?
誰もがいずれは迎える死。でも、「死んだらその後はどうなるか?」を意識して毎日生活している人は、ほとんどいないと思います。
でも、ふとした瞬間に「死」について考えることが年に1度くらいはあるのでは?死んだらどうなる?魂はあるのか?心はどこに存在する?そんな疑問に答えを出そうとした医師がいます。
ダンカン・マクドゥーガルの実験
アメリカ、マサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル氏は、6人の人間と15匹の犬を対象に、死んだ直後の体重を測るという実験をしたそうです。
それによると、犬では全く重量が変わらなかったのに対し、人間では21g軽くなったということ。しかし、この実験に関しては実験数の少なさから信憑性はないとされていますし、マクドゥーガル氏自身も2体で計測を失敗した、と語っています。
その他の実験
1990年代には、ある大学病院の研究チームによって匿名での実験が行われています。それは、精密に重量を量れる機器を使ったものだそうですが、世界のどこの大学チームなのか、何体で行ったのかなど、詳しい事は発表されていません。誹謗中傷を避けるためです。
この実験によれば、1体あたり5g~10g軽くなったそうです。もちろん定説にはなっていませんが、その手の科学者達にはこの重量が魂なのか生体エネルギーの類なのか、それとも素粒子の類なのかが議論の対象になっているそうです。
魂の存在を否定する説
当然ながら、魂の存在を否定する人がいるのも事実。魂否定派によれば、人が考えたり思ったりする思考力というのは、魂が宿っているからではなく、単純に脳細胞に電気信号が流れているからだ、と主張しています。
心臓移植の不思議な話
心臓移植を受けた時にだけ、不思議な話が存在します。これは、心臓以外の移植では見あたらない話ですが、心臓移植をされた患者は、移植元の人の記憶が移るというものです。
それまで全く興味がなかったものに、心臓移植をした直後からやたらと興味を示したり、それまでの性格と真反対の人格になったりという話は大変多いそうです。
かなり前に、新聞記事に”心臓に記憶神経が見つかった”という記事が載っていたことがありますが、それと関係があるのかもしれません。もちろん、魂との関連は証明できませんが。
魂の有無の話をすると、宗教という概念に結びつくため科学的ではない、医学的じゃない、だから迷信に近い考え方だ、という人も多いと思います。
しかし、人はなぜ人に優しくしようとか、人に迷惑をかけないようにしようとか、自分も他人も大切にする生き方を選んでいるのでしょう?
私は昔、あるお寺の高名なお坊さんの説法を聞いたことがあって、(結構長かったので詳しい内容までは忘れましたが、)人の死について語っていた事で印象深かったのが、
「人は魂のレベルを上げるためにこの世に転生を繰り返し、その時代や環境に適応させながら魂を磨いているのです。死んだら無になるのであれば、人はもっと自己中心的であるはず。自分意外のものに愛情を注ぐ事が、魂のレベルを上げる事を知っているのです。」
このような事をおっしゃっていました。現世とは、魂が最終的に天国を目指すための修行の場である、と。不平不満ばかりを口にしていると、今の人生という修行の場ではいつまで経っても最上階の天国への道は開けません、と。
ちょうど、丹波哲郎氏が死後の世界をテレビで大々的に語っていて、それがちょっとしたブームになった時期とカブっていたので、私の中で印象深く残っている話です。
なんだか、人が優しさを大切にする理由がわかった気がしましたし、同時に魂という見えない存在を確信できた、そんな気がしましたが、あなたはどう思われますか?