沖田総司はマジ強かったのだろうか、実はあまり活躍してない?
新撰組と言えば、局長の近藤勇、副長の土方歳三、そして一番隊隊長の沖田総司が有名ですね。映画やTVドラマになったり、近年ではアニメでも新撰組を舞台にした物語「PEACE MAKER鐵」「薄桜鬼」などがヒットし、時代物が苦手な若い人にも人気を得ています。
特に、アニメでの沖田総司は強いばかりでなく、外見が女性的あるいは優しそうな表情をしており人気が高く、特に「薄桜鬼」では新選組隊士一同が皆イケメンで、若い女性にも大人気で、アニメ放映が終わっても、未だにゲームセンターの景品などで強い人気を得ている。
で、実際の活躍はどうだったのか?近藤勇や土方歳三は写真も残っているし、どういう活躍をしたのかという資料が多く、かなり詳しく知られています。
しかし、沖田総司は意外と資料が無く、後年の作家によるイメージが強すぎて、本当の姿がイマイチわからないのです。
資料というのは、隊士が家族あてた手紙とか、関係者の書き物などがあるのですが、実はそうしたものに沖田総司の名前があまり出てこないのです。
明治になり時代が変わると、江戸時代のものは古くさいという風潮ができ、新撰組などは悪の組織として伝聞されました。実は、新撰組の話がこの時代に忘れ去られず、正確に今に伝わったのは一人の人物の活躍があったからです。
その名は「永倉新八」新撰組二番隊隊長で「池田屋事件」の時には近藤、沖田と一緒に切り込んだ人物、新撰組隊士として近藤と活躍しましたが、後年近藤と袂を分けたことで、大正の初めまで存命し、新選組の詳細な記録を残しました。
新撰組の話が今に伝わっているのは、まさにこの永倉新八のおかげなのです。で、その永倉の書き残したものでは、かなり詳細に土方が誰を斬ったとか、藤堂平助や原田佐之助が誰を倒したとか、隊士達の活躍を具体的に記述しているのですが、沖田総司に関してはそういう内容の記述があまりないのです。
沖田総司の名前は良く出てくるのですが、実戦の場面が他の隊士に比べるとないのです。よく考えてみると、新撰組の本の小説の中でも色々と活躍はしているのですが、目立った志士と戦ってないのです。
芹沢鴨、町奉行与力の内山彦次郎、殿内義雄などを斬ったと言われていますが、実際のところ多人数で押しかけて取り囲み、数人で寄ってたかって斬りつけるという戦法で、ちょっとイメージが違いますし、池田屋事件の時には切り込んで早々に体調を崩して戦線離脱となってしまいました。
芹沢と大阪に行って相撲取りとケンカになったときには、頭を棒で殴られて怪我をしているのですね。(侍でなく相撲取りに、です)実際に強かったのでしょうか?
断片的な記録によると、新撰組の世話をした西本願寺の侍臣西村兼文は明治になってから「新撰組第一の剣客」とか「天才的剣法者」とか評価し、永倉新八も「土方なども竹刀では子ども扱いされた、本気を出したら師匠の近藤もやられるだろう」と言っており、他のかかわった侍達も沖田の強さを認める発言をしています。
池田屋事件のときも、永倉新八の新撰組顚末記で「一人の志士が沖田に向かうとたちまち二、三合して沖田に斬られる」と唯一永倉の目撃証言が語られています。
相手だって腕に覚えのある志士なわけで、しかも乱戦の中、数回刀を合わせただけで切り捨てた沖田の実力が見えます。
実際のところ、あまりに強すぎて勝って当たり前なのと、隊長して指揮する立場であり、隊長として部下に「やれ!」と命じる事が多くなってしまった。
結果、行動に参加して名は残っても、戦闘の記録が少なくなってしまったのでしょう。やっぱり、強くて、指導力があり、そしてイケメンだったという事でしょうね。