悩みが生まれる仕組み。なぜ同じことで悩む人と悩まない人がいるのか?
なぜ、太っていることで悩む人もいれば気楽に過ごしている人もいるのでしょうか。
なぜ、仕事がないことで悩む人もいれば気楽に過ごしている人もいるのでしょうか。
なぜ、人に何かを言われて悩む人もいれば気楽に過ごしている人もいるのでしょうか。
今の自分から悩みがなくなったらどれだけいいかと思っている人もいるかもしれませんが、それは何かを手に入れたり求めたりすることじゃなく、意外と身近なところにヒントがあったりします。
悩みの発生源
なぜ、人は必要以上に頑張るのでしょうか。
なぜ、人は思ってもいない行動をするのでしょうか。
そして、なぜ人は悩むのでしょうか。
そんな生活で起こる色々な疑問は置いておいて、とりあえず目の前の仕事や家事育児に時間を使っている人も多いのではないでしょうか。もちろんそれで自分らしい人生で幸せを感じているならいいかもしれませんが、見て見ぬふりをするほど目の前の問題を直視出来なくなるものです。
パートナーとの関係が上手くいっていないと薄々分かっていながらもそれと向き合うのが怖いから触れることが出来ない、仕事が出来ない相手、自分に対してもっと違う角度から見ないといけないのに同じところから見て失望したりイライラしたりする。そんな表面的な出来事は全て人の心が生みだしていることが分かれば、そもそもそうした出来事を引き起こすこともなくなるかもしれません。
では、どこに悩みの発生源があるのでしょうか。それは、小さい頃を振り返ると分かってきます。
言葉を話すことが出来なかったりどんな人でもサポートしてくれていた赤ちゃんのころは、立つまでどれだけ失敗しても泣こうがわめこうが立てるまで自分で何とか頑張ろうとします。そして、それはだんだんと出来るようになり、2本足で立つことが実現します。
いつから求めるようになった?
こうして夢中になっている赤ちゃんの姿を見ると、必要以上にその人を心配することもないし、それでいて見ていて楽しいしわくわくする。そんな感覚を持つ人もいるかもしれません。
そして、大人でもそういう人はいます。子供のように夢中になって仕事をして、それを周りの人が喜んでいる状態。ですが、そこには赤ちゃんのころより何かを求めている人もいます。それは、「もっと認めて欲しい、もっと愛して欲しい」という気持ちを求める人です。
これはどんな人も小さいころに身に付くことだと思います。「もっと自分を見て」と親にアピールする子供は多いと思います。ですが、そんなことしなくてもありのままの自分を愛してくれる人がいれば、そもそもそうやって条件付けをした愛をもらおうという気持ちすら起こらないかもしれません。
「そんな頑張らなくても認めているし、愛しているよ」そう言われたら「お母さん、見て」という、自分が出来たことだけを褒めてもらいたいという気持ちは出てこないかもしれません。
これをやったら褒められる、これをやったら褒められないといった条件が増えれば増えるほど、もっと欲しいもっと欲しいという気持ちは増えていくようです。
悩みは自分で作り出している
そうした小さい頃からこうすれば認められる、こうすれば愛されるという条件が増えている人ほど悩みは多い人だと思います。何をしても愛される、認められるならそもそも嫌なことを頑張ってやって、相手に期待することをしようという気持ちすら出てこないと思います。
自己啓発でも無理やり頑張る系のことを教えている人もいますが、それはまず自分の状態が癒されてからそういう本から学ぶことも出来るでしょう。でも、癒されず「どうすれば認めてもらえる?愛してもらえる?」なんて気持ちのままそんな本を読んだらますます愛されるために自分らしくない人生を生きることになりかねません。
実際、そうやって周りから尊敬される立場になった人もいますが、認められたとしてもそれが自分のやりたくないことなら、それをやめたら認められないから嫌々やり続けている人もいます。
そんな自分で作りだした悩みが最後まで自分を苦しめることになるなら、まずは一度立ち止まって、自分はどんな条件付けの愛を求めているのか、そしてそれはいつから起こったのかということを思い出すことが、頑張り続ける人生から抜け出す方法ではないでしょうか。
そもそも頑張ることで認められる、頑張らないと認められないという考えはどこから来たのでしょうか?それは本当でしょうか?頑張らないで幸せに暮らしている人はいないのでしょうか?自給自足をしたり自分らしいことを仕事にして幸せそうに暮らしている人は沢山います。
そうした事実があるのに一部の誰かが決めたそんな条件づけされた愛に従って生きることは自分らしい人生なのでしょうか?それが心の底から分かったら、ゆっくりと自分のペースで自分らしい人生を歩みだすことが出来ると思います。