古都京都の面白トリビアを紹介。いくつご存知ですか?【その2】
1000年の都、古都京都には沢山のトリビアがあります。奈良の大仏よりも大きな大仏があったとか、巨大な七重塔があったとか。そんな歴史深い京都のトリビアを紹介します。
ぶぶ漬け伝説は本当か?
京都でお茶漬けの事をぶぶ漬けと言いますが、京都人は長居しそうになったお客さに「ぶぶ漬けでもどうどすか?」と勧める事があり、それは「空気を呼んでそろそろ帰りなさいよ」という意味だという説があります。
これは、喫茶店に長居をしている人に、お水をどうですか?というパターンとほぼ同じ意味合いなのでしょうが、果たして本当に帰りなさいと言う意味なのでしょうか?
反面、お茶漬けを勧められて食べなければ「ぶぶ漬けも食べない様な男には娘をやってはいけない」という様な考え方もあります。結局、長居をして嫌がられているのか?それとも本心でぶぶ漬けを勧めてくれているのか、ケースバイケースで空気を呼んで判断しましょうという事なんです。
奈良の大仏よりも大きな大仏があった方広寺
京都市東山区に、方広寺というお寺があります。そこには有名な鐘楼があるんです。鐘楼に刻まれた「国家安康・君臣豊楽」の文字が徳川家康の怒りに触れてしまいました。「家」という文字と、「康」という文字を分けているのは家康を呪う言葉だとクレームを付けたのです。これがきっかけで大阪冬の陣、夏の陣が起こりまして、豊臣家は滅びました。
さて、この方広寺には実は高さ19メートルという巨大な大仏様があったんです。高さ19メートルの大仏様っていうのは想像が付きますか?なんと、あの奈良の大仏様でさえ高さ15メートルですから、とてつもなく大きかったのです。今はどうなっているかと言いますと、残念ながら倒壊や焼失を繰り返し、現在は残っておりません。
巨大な七重塔があった?
京都駅の正面口に立っている京都タワー。皆さんは京都タワーの高さをご存知でしょうか?地上からてっぺんまで約131メートルあります。京都タワーはビルの上に載っているという様な形になっていますから、下部のビルを省いたタワーだけの高さが100メートルあります。京都の町は高さ制限がありますので、京都タワーの131メートルは遠くからでも見渡せて、とても存在感があります。
ところで、京都にはタワーと呼ぶにふさわしい建物が他にもあります。例えば八坂の塔や、東寺の五重塔などです。京都のシンボルとなっている木造の塔たちです。これらの木造の塔は、地震にとても強いんだとか。耐震構造がしっかりとした技術に昔の人の知恵を感じます。高さを比較してみますと、
八坂の塔 46メートル
東寺五重塔 55メートル
東寺の五重塔の高さは木造建築の塔としては日本一を誇ります。近くで見上げるとそのスケールは圧巻です。ちなみに余談ではありますが、五重塔のてっぺんの高さが北大路通りと同じ高さ。京都は北に行くほど高さが上がるのです。
そして実は、京都の象徴といっても過言ではない五重塔よりも、もっと高い木造の塔があったんです。それは、法勝寺(現在の岡崎動物園付近)にあった八角九重塔。なんと80メートルもありました。建てられた時代は平安時代ですから、今から1000年以上も前にそんなに高い塔が建てられていた事に驚きです。
東寺の五重塔よりも遥かに高い塔でしたが、残念ながら落雷のため燃えてしまいました。しかし、驚くのはまだ早いのです。実は更に高い塔があったんです。それは相国寺の七重塔。こちらはなんと109メートルもあったそうです。建てられていた時代は室町時代です。
有名な洛中洛外図屏風はこの七重塔からの景色を描いたんだそうですよ。こちらも落雷で炎上しました。せっかく耐震構造がしっかりしているのに、落雷での炎上というのはなぜか。それは避雷針という発想が無かったから。もし今残っていれば京都タワーに匹敵するくらいの木造の塔が建っていた事になりますね。
五山の送り火に対して、迎え火ってあるの?
お盆の行事、「五山の送り火」は、あの世から帰って来られた御招霊(おしょうらい)を送る「送り火」ですよね。では、逆に迎え火っていうのはあるのでしょうか?
はい。実はちゃんとあるんです。お盆にご先祖様が暗闇で困らない様に迎え火を点けるんです。つまり、迎え火でお迎えをして、送り火で送り出すんです。こういった風習は家庭の玄関先で行われる小規模なものから、五山の送り火の様な大規模なものまでありますが、迎え火に関しては大規模な行事は少ない様ですね。
8月13日の夕刻に家の前で火をたくのが一般的なんだそうです。皆さんのお宅ではこういった行事はされておられますでしょうか?
五山の送り火、昔はもっと種類があった?
現在は五山の送り火という名前の通り、五山で行われていますが、以前は他の山でも行われていたんです。一体どういう種類があったのでしょうか?
【現在】
・大文字
・妙
・法
・舟形
・左大文字
・鳥井
【以前行っていた送り火】
・い(かながしら)(京都市左京区市原)
・一(京都市右京区鳴滝)
・竹の先に鈴(京都市西京区松尾山)
・蛇(京都市右京区北嵯峨)
・長刀(なぎなた)(京都市右京区嵯峨観空寺)
と、実はこれだの種類があったのです。この種類については現在、京都に住まわれている京都人でもご存知の方は少ないのです。全部言える人がいらっしゃったとしたら、かなりの京都通です。
錦小路は糞小路と呼ばれた?
京都の台所と言われる錦小路。現在120店舗ほどが軒を連ねていていつも賑やかですが、この錦小路は糞小路(くそこうじ)と呼ばれた事があるんです。どういう事かというと、宇治拾遺物語にその名前が出てきます。
それによると、母親の成仏祈願のために3年間もの間、愛宕山に篭っていた清徳という僧侶がおりました。下山後、3年分の空腹を満たす様に、とてつもない量の食料を食べました。清徳の尻には沢山の餓鬼がくっついていて、錦小路で排便を催し、すごい量の糞をまき散らしたので糞小路という風に呼ばれたんだそうです。
実は錦小路は具足(ぐそく)を扱うお店が並んでいたので具足小路と呼ばれていました。本当は、そこから訛った様ですね。
こんな風に、様々な逸話のある京都、日本で最も都があった年数がダントツで長かった都市でもあります。その歴史の年輪を垣間見ると、こんなに楽しいトリビアがあるのです。