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人生において経験が深みになる場合とそうじゃない場合とは?

経験を積んでいる者同士であっても違いがあるのは何故?

経験を積んだからといって、それがまったくその人の深みになっていない場合と、経験を積んだからこそ深みのある人という場合がありますが、両者の違いというものは何処にあるのでしょうか?

経験にもいろんな種類がありますが、そこから何を得たかという事も大きいのでしょう。

失敗を繰り返すのも人生ですが・・・


失敗から得られるものは多いといわれますが、何度も同じような失敗を繰り返すという人もいます。

経験がまったく生かされていないというパターンでしょうが、小さな事でも同じような失敗を繰り返しているという人は多いかと思います。買い物に行ったのに、またワサビを買い忘れた~とか・・・

メモをしてから買い物に行くように知恵をつけたとしても、そのメモを忘れたりとか人生は失敗の連続といってもいいかもしれません。

しかし、気をつけるようになるとメモ無しでも大丈夫になってきたり、今日は忘れそうだからとメモを用意したりと、同じような失敗が少なくなるのが一般的です。

ところが、同じ失敗を連続してもなんとも思わない人もいます。よく言えば大らかな人で、悪く言えばあまりあてにならない人といったところでしょうか。

経験から何も学ばないということは、同じ失敗を何度も繰り返す可能性が大ですし、事によっては命に関わる危険性もあります。

ゲームでいうと、いくらモンスターを倒しても経験値が貯まらないといった感じでしょうか。これでは、いくら経験を積んだとしても深みも何もあったものではないでしょう。

大した経験ではないのに本人だけが・・・

次に、経験をした事に対して大袈裟に考え過ぎているというパターンもあります。他人からしたら、それ程ではないんじゃない?というような経験であったとしても、本人はさも大きな経験を積んだと勘違いしている場合です。

実は、このタイプの人はけっこう多く、時として本人だけが真剣で他人からしてみれば笑い話にもなったりします。

例えば、パック旅行で海外に行ったにも関わらず、さも冒険をして来たという雰囲気や口調で話す人とか、俺も都会で生活したことがあるよ~3ヶ月も!等など。

このような人達にとっては自分が経験した事だけが凄く、他の人の経験は耳に入ってきませんので、いつまでも自分の世界から抜け出せないという訳です。

経験したことは事実であっても、その経験がその人のキャパを越えたものだったのかもしれません。

それで、経験がその人にとって深みを与えるというものではなく、逆に手枷や足枷になっているのでしょう。経験豊富というよりも、トラウマがいっぱいといったところかもしれません。

経験は、経験しようという気力や行動力さえあれば、資金が無くてもできる事も沢山ありますが、その経験から何を得たり学んだかという事のほうが、大切といえるかもしれません。

経験があるにも関わらず、深みが無いという人に会ったならば、その人の本質が少し怪しい可能性も疑ってみましょう。

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