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ジョージオーウェルの1984から読み解く現代の監視社会への警報

街中に設置された監視カメラの数々は、様々な犯罪の解決に結びつくことでしょう。どこかの誰かが行った、軽はずみな行動や言動は、すぐさまインターネット上で伝えられ、数多くの人の叩かれる羽目になります。

もちろん抑止という意味では、良い部分もあるとは思うのですが、この状況は、かつてジョージ・オーウェルが、小説「1984」で書いた世界そのままなのではないでしょうか?

そもそも「1984」を知らない人へ

歴史的名作ですから、知らない人は少ないかもしれませんが、一応紹介しておきます。1903年生まれのイギリスの作家ジョージ・オーウェルが書いた、1948年の作品が「1984」です。

「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」や「至上最高の文学100」などに選ばれるなど、各方面で非常に評価の高い作品です。

また多くのミュージシャンが、この作品にインスピレーションを受けて曲を作ったことでも有名ですね。一番有名なのはデビッド・ボウイでしょうか。音楽をきっかけにジョージ・オーウェルに興味を持った方も多いかもしれません。

監視社会に警報を鳴らす

近未来を舞台にした、極度の監視社会に警報を鳴らしたと言われるこの作品ですが、実際の1984年には世界のどこも、ここまでの監視社会ではありませんでした。

しかしインターネットの普及、ツイッターやフェイスブックで、世界が繋がった今でこそ、彼が警告した監視社会そのものになっているような気がするのです。ブログなどのちょっとした過激な発言は、あっという間に広がり、ブログ炎上、そして閉鎖となることも少なくありません。

これが有名人のブログならば、まだ理解できないこともありません。有名人は叩かれても仕方がない、とは思いませんが、数多くの人が見るでしょうから、なんとなくそういった騒ぎになるのも想像はつくのです。

しかし、最近こういった騒ぎを起こしているのは一般人が火種だったりするのです。例えば、ファッションセンターしまむらでクレームをつけて、従業員に土下座を強要した女性が逮捕されましたよね。

あの事件は、当然女性側に非があると私も思いますが、ここまで大きな話題になったのは、インターネットに記事を投稿し、土下座写真をアップしたことが発端です。もしも、20年前だったら、従業員が土下座したところで終了ですよ。それが逮捕までいってしまいました。

また、アルバイトの従業員が調子に乗ってしまい食品で遊び、店舗閉鎖などで大騒ぎになったりしましたよね。あれも20年前に使い捨てカメラで撮った写真だったとしたら、友人に「おまえ馬鹿じゃねーの?」と馬鹿にされて終了だったはずです。それが店舗閉鎖に莫大な賠償金ですよ。恐ろしい世の中です。

国民全員が思想警察になりかねない

オーウェルが小説内で描いたのは、国民全員が一つの思想を持つことの恐ろしさです。

小説内では特定の思想から外れた人間は次々と行方不明になっていきます。排除されていくのですね。その後、いなくなった人間は「元々いなかったもの」として扱われていくのです。

いなくなる人間が思想警察に連れて行かれるきっかけは、第三者からの密告であったり、監視カメラに映る行動によります。枠にはめられた社会にそぐわない人はどんどん排除されていくのです。これって現在の状況とほぼ同じですよね。

我が国では街中のあちこちに監視カメラが設置されています。どこかの建物に入れば、更にその数倍の監視カメラに囲まれることでしょう。見られていないのは、自宅くらいかもしれません。更にパソコンでの発言。

インターネットを通している以上、それは全世界に監視されています。
私も以前、自分のブログをやっていたことがあります。友人数人しか読んでいないような小規模のものです。

そこで某アーティストの悪口を書いてしまったことがあります。(悪口というレベルですらなかったのですが…)どこから現れたのか、そのアーティストのファンらしき人に荒らされました(笑)。

更に、その人からネットストーカーらしき行動が目立つようになったので、私はブログ自体に興味を失いました。自分の思ったことすら書けないブログでは意味がない、と思ったのです。

自分の好きな物を知らない誰か(私)に否定されたことが、許せなかったのでしょう。

これは結局、「私と同じ価値観ではないヤツは許せない」という思想警察のようなものです。私の場合、ここで止まりましたが、変な対抗意識で応戦したなら、更なる犯罪に巻き込まれていた可能性すらあります。

監視社会も行き過ぎれば、犯罪の種を生む存在にもなるのです。
国民全員が思想警察になりかねない現代、自分の身を守る為には、余計な発言は控えた方が良いのでしょうか?しかし、言いたいこと、書きたいことすら自粛しなければならないというのは、なにか間違っているような気がするのです。

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