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「放送禁止用語」実際は業界の「自主規制語」だった…これって本当?

日本に「放送禁止用語」は存在しない!!

よく、テレビのニュースなどを観ていると「先ほどの発言に不適切なものがございました、お詫びします」とアナウンサーが言うことがあります。

視聴者には、それがどの言葉だったのかわからない。こんなことが日常茶飯事に行われていますよね。

これは、その番組にクリームが寄せられたので謝罪をしたという場合がほとんどてず。一般視聴者も、番組を作っている側もなにげなく聞き流したり普通に脚本に入れていることでも、その言葉を「差別だ」「適切でない」と感じた人が、番組に対してその旨電話やメールを入れると、番組側としては謝罪をせざるを得ないのです。

こういった事態を嫌う番組制作側、またあるいは新聞や雑誌、メディアは、各会社それぞれの「放送禁止マニュアル」をどこも作っています。

これが、一般に言われている、いわゆる「放送禁止用語」です。

なにも、国や政府が一律に禁じているわけではないのです。なぜなら、日本は建前上、憲法で「表現の自由」が大前提として守られており、なにものもこれを侵害することは許されていないからです。

つまり、自主規制でのみ、放送禁止用語は成り立っているということです。

差別意識の改善という観点から生まれた放送禁止用語

では自主規制=放送禁止用語は、どのようにして決められるのでしょうか?

戦前、戦後であればとくに誰も気に留めていなかった言葉が、現在ではかなりの数「閲覧、放送禁止」になっています。

しかしそれは、人権団体の涙ぐましい活動あってのことです。たとえば「つんぼ」「おし」「かたわ」などといった障害者をさす言葉は、すべて「身体の不自由な人」という表記に変えられました。

最近では「障害者」という表記も「害のある人間ではない」ということで「障がい者」と表記するところが増えています。

本来は、どういった言葉を使おうが、大切なのはその表現の仕方なのですが、パッと見たとき、聞いたときの印象が障害者を蔑視していると思われないための団体の活動の成果が、はっきり見える形になったのは一定の成果なのでしょう。

確かに「つんぼ」は「耳の不自由な人」「めくら」は「目の不自由な人」で充分通じます。どうしてもその作品の性質上、その言葉を使わざるを得ないときは(障害者をそうやっていじめている人を表現するとき、「やーい、目の不自由な人ー」とはやし立ててもリアリティがありませんよね)、「やむを得ず不適切な表現がありますが、表現上のものです」などと注釈を入れることが多いです。

それよりも問題なのは、伏せれば問題ないだろうと「か○わ」などと表記して、結局は障害者を貶めるような表現方法をする出版社が一定数あることです。こちらのほうがずっと問題の根は深いのではないでしょうか。

こんな言葉も放送禁止!?

30代以上の方なら覚えているでしょうか、まだインスタントカメラが発売していなかったころ、各家庭に「バカチョンカメラ」と呼ばれる、ピントを合わせてシャッターを押せば写真が撮れるカメラがあったと思います。

このバカチョンカメラ、みんななにげなくそう呼んでいましたが、語源は「バカでもチョン(韓国・朝鮮人の蔑称)でも撮れる」というものだという説が有力で、そのためその呼び名は使われなくなりました。

確かに、語源は諸説ありますが、アメリカで「フールジャップカメラ」なんて商品がなにげなく使われていたらまったくいい気分はしませんよね。

また、土方(どかた)、日雇い労働者などもなるべく使わないようにしている言葉のひとつです。これは「自由労働者」「フリーター」「労働作業員」などと置き換えるそうですが、まだ今では現場の人たちも「おれ、ドカタ」などと、まったく差別用語と思わず自称されていたりもするので、あまり浸透はしていないようです。

また、出版業界ではそうでもないようですが、テレビメディアは「OL」という言葉は使わない流れになっています。オフィスレディのなにが差別に当たるのかはわかりませんが、一時期あまりに「コピー取り、お茶汲みしかしない女子社員」というイメージで使われすぎたためかもしれませんね。

もはや本来の意味とは違う使われ方で定着しているのに、その一部だけを挙げて自主規制している例はたくさんあります。支那そば(中華そばに改定)、支那ちく(メンマに改定)なんかもそうですね。誰がこれらのものを食べて「ああ、かつての中国の蔑称だな」と思うかわかりませんが、これなど自主規制の最たるものではないでしょうか。嫌がる人がいるのなら仕方がないですが…。

また、どうしてもそれ以外の置き換えがしづらい、伝わらない、というときは「いわゆる」を使用するのが流行りですね。「いわゆるヤクザと言われるような」「いわゆる引きこもりで、無職」「いわゆる意味でのはみ出し者で」どれだけ長島茂雄に頼るつもりでしょうか。

つまり、「私どもはこれを不適切な言葉とわかってますよ、ちゃんと気を使っていますよ、しかしながらこの言葉以外にはなかなか適切な表現の仕方が見当たらず」というときに、言い訳として使うわけです。

これのどこが放送禁止なんでしょうか。「いわゆる」をつけようがつけまいが、とある立場の人間を不快にさせる、貶める、差別を助長させるといった弊害があるから存在するのが放送禁止用語であるはずなのに、ただの逃げでしかありません。

しかし、禁止用語を自主規制として作らなければ、文化が後退していたのもまた事実でしょう。あとは取り入れる人たちの良心、抗議をする人たちの良識と理解度に任せるしかありません

あなたも一度、どんな言葉がマニュアルに載っているか調べてみてはいかがでしょう? 意外と日々使っているものが多くて驚きますよ。

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