るろうに剣心って、モデルがあったと言われているのを知ってますか?
人斬り抜刀斎、緋村剣心
赤い髪にほおの十字傷、幕末に伝説の剣客「人斬り抜刀斎」として恐れられた緋村剣心は維新後「殺さず」の誓いをたて、東京で出合った神谷薫や弥彦、相良佐之助とともに、さまざまな事件を解決していく。
中でも、元新撰組二番隊隊長の斎藤一や大久保利通とその暗殺事件など、実在の人物や事件を微妙に絡ませて展開するストーリーと、普段はやさしくてお人好しの剣心が、市民が暴力に脅かされたときだけ初めて見せる人斬りの片鱗、この意外性が痛快でとても面白い。
少年雑誌で明治の時代物は受けない、と言われたエピソードがあるそうだが、その心配をよそに大ヒットとなり、少年ジャンプで1984年〜1999年まで連載、全255話という長い作品となり、テレビアニメでも二年半に渡っての放送となった。
他にも 劇場版アニメやOVA作品化もされ、昨年には佐藤健主演で、実写映画化され、続編も予定されているようです。海外でも人気が高く、ほおの十字傷から「サムライX」と呼ばれて人気のあるコスプレの対象になっているそうです。
さて、小柄でやさしい顔、伝説的な人斬りでありながら、何を思い立ったのか突然刀を捨てた剣客。まさしくアニメ向きのこのキャラクターにモデルがあった、という話があります。
人斬り彦斎
その名は「川上彦斎」(かわかみげんさい)、田中新兵衛、岡田以蔵、中村半次郎と並んで幕末の4大人斬りといわれたうちの一人です。
1834年肥後熊本藩士の子として生まれ、国では家老付の小者を務め、兵学や皇学など学問に熱心で、早くから尊皇攘夷の志士となったようで、同時代活躍した他の人斬り3人と比べるとおぼっちゃん的なイメージがあり、恵まれた優等生だったようです。
そんな育ちからでしょうか、風体は小柄で女性的な顔立ちだったとされ、また道場ではやられるばかりでさっぱり勝てなかったという話があります。
しかし、「竹刀剣術ではどうにもならん、しかしこれが真剣だったら、貴公らが何十人かかってきても私は負けないだろう」と語ったといいます。
彦斎は我流で居合を得意とし、実際立ち会う間もなく抜いて人を斬るというスタイルを取っており、道場での打ち合う剣術では勝てなかったわけです。瞬殺であるがゆえに人斬ることを何とも思わなかったのでしょう、人を畑の茄子に例えた話が知られています。
他にも志士たちの酒の席で「こんな横暴な人物はいない方が良い」などと話し合っているとき彦斎は黙って席を立ち、しばらくして包みを手にして戻ってきた。
「それは何か?」と問われると「横暴な奴というのはこの男だろう」と首を出し、一同を驚かせたという話もあり、今なら、凄味のあるクールな人物というところでしょう。
人斬りを止める
そんな彦斎に何かが起きたのが1864年佐久間象山を暗殺した時です。
佐久間象山は当時開国論を唱え、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らを多くの俊才を教育した大人物ですが、その象山を切った時「初めて人を斬る思いがした、毛髪が逆立つような恐怖を感じ、耐えられなかった。もう人を斬るのは嫌だ。」と人に語り、それ以降暗殺を止めたといいます。
それだけ、佐久間象山は傑出した人物だったということなのでしょう。以降彦斎は長州で潜伏していたが、尊王攘夷の思想からは離れず活動を続け、やがて政府ににらまれて投獄、明治2年に釈放されているものの明治4年に政府転覆計画の罪で断首、38歳でした。
もし明治を生き延びていたら、きっと「るろうに剣心」になっていたでしょうね。