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おもちゃのような飛行機を実用的に発達させた、名誉と金の賞金レース

1903年、アメリカのライト兄弟は、世界最初の飛行機の動力飛行に成功させました。映像が残っているので、知っている方も多いと思いますが、「ライトフライヤー号」は木造の骨組みに布張り、自作したガソリンエンジンを搭載して、腹ばいで操縦、初飛行は12秒で36.5mであったといいます。

そして1914年に第一次世界大戦がはじまり、終戦までの4年間、主に複葉機でしたが、1万機を超える飛行機が生産され、空を縦横無尽に飛び回る高性能で高速な今までに無い闘いを繰り広げるまで発展しました。この間、わずか11年です。この進化のしかたは爆発的ともいえます。

名誉と金の賞金レース

実は、ライト兄弟は自転車屋を生業としており、民間人であったゆえの嫉妬や利権にハラスメントを受け、正当な評価を受けず、スミソニアン協会からも迫害を受けたようです。

そのせいかヨーロッパでは1906年に飛行船で知られたアルベルト・デュモンがフランスで100m以上の飛行を成功させ、ライト兄弟より3年も後であるにもかかわらず、ヨーロッパでは彼が世界初と思われていました。

アメリカの快挙というままだったらそんなに熱があがらなかったかもしれません。「ヨーロッパの中での快挙なら、貴族の俺が・・・」この誤解が、貴族の間や冒険を求める人などの間で空への競争を激しくした原因にもなっています。

そして、飛行機の発展を応援しようと大きなイベントが計画されました。1906年、ロンドンの新興紙ディリー・メール社が、世界初のドーバー海峡横断飛行達成に1000ポンドの懸賞を掛けたのです。当時の1000ポンドは今の6千万以上の価値があると言われています。

飛行機はまだ不安定な飛び方で、飛行距離も何百mから何kmの世界、スピードも50キロそこそこの時代でしたが、改良の余地は充分、飛行機には未来があると思われていました。

成功者には富と名誉が、しかも新聞社の主催ですから名前は世界に広がり、歴史的なヒーローになれるチャンス。様々な腕に覚えのある工房に貴族や冒険家、技術者が参加して競い合う事になります。

この頃ヨーロッパでは、エッフェル塔を周回したらいくら、100m飛んだらいくら、というように様々な懸賞チャレンジが生まれて、技術や知識の啓もうに大きく貢献した背景もあります。

ドーバー海峡横断

イギリスからフランスの間、約30キロの海峡を誰が飛行機で渡るか?世界の目が集まりました。1909年7月、ルイ・ブレリオのブレリオXI、ユベール・ラタムのアントワネット複葉機、シャルル・ド・ランベール伯爵のライトフライヤーの3名が挑戦する事になります。

先陣を切ったラタムのアントワネット複葉機は19日にフランス・カレー市郊外を出発、11km飛んだ洋上でエンジンが故障、海に不時着して軍艦に救助されました。

天気の様子を見て、25日にはブレリオが明け方カレー市から出発、途中エンジンがオーバーヒートするも、にわか雨でエンジンが冷やされるという幸運さもあって、36分55秒でドーバー城に着陸、着陸脚とプロペラを折りながらも、ドーバー海峡初横断に成功しました。

ブレリオはディリー・メールの懸賞金を獲得、さらにフランス政府からナポレオンが制定したレジオンドヌール勲章を授与され、カレー市近くの出発地はブレリオ海岸と命名されました。まさしく、富と名誉を手に入れたのです。

その後の懸賞チャレンジ

1919年 カナダからアイルランド無着陸横断(ビッカース) 賞金1万ポンド
1957年 ニューヨークからパリ無着陸横断(リンドバーグ) 賞金2万5千ドル

等々、多く行われて、貴族や技術者、冒険家などを刺激し、若い人に夢を与え、企業も発展させる大きな原動力となりました。飛行機が生まれてわずか100年そこそこでここまで発展したエネルギーは、こうしたところにあったんですね。

このやり方は、今の企業なんかでも使ったら面白いと思います。企業のベストセラーになる商品アイデア、企業の利益を大幅にあげる方法、会社の体質改革を美しくやりとげる企画等々・・・。今やってますよ。という会社はありますが、レベルが違います。

人生を左右させる金額と名誉が、やる気と才覚があれば歳や経歴に関係なく得られるかも・・・。これを懸賞に誰でも参加コンペをやったら、そのエネルギーはすごいものになります。経営陣が気付かなかった方法で爆発的に伸びる企業がでるかもしれませんね。

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