落語で学ぶ、江戸という華やかな時代が羨ましい。
その昔、江戸では、一日千両落ちたのは「鼻の上下、へその下」と言われたそうです。鼻の上・下は、観劇にグルメのことで、そして、へその下は落語では散々出てくる吉原ですね。当時の遊女は、今で言うアイドル級で、錦絵はブロマイドといったカンジ。
落語では、堅物の奉公人が錦絵の遊女に恋して恋煩い・・・といった話もある。その遊女に会いたくて3年奉公してやっと会えた。その次は、と聴かれまた3年後にという話をすると、遊女が感激して、彼の元にお嫁に来た、という落ち。
また落語ではよく「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われたそうで、それ以外は江戸ではないということだ。かねやすは今でも本郷追分にある、化粧品のお店。店前には、この川柳が金属製のプレートで掲げてある。正式な江戸も、時代によって違ったりするので、確かな説はなさそうですね。でもまあどこまでが江戸なのか、簡単に言うと、今の文京区辺りと言えるようです。
江戸時代、日本橋から伸びた街道は四街道。東海道・中山道・日光街道・水戸街道だ。そういえば、旧中山道を「一日中、山道」と読んだ、某テレビ局アナがいた。
落語演目でその街道沿いの宿場の『四宿の屁』という落とし話があるが、落語家は気分が乗らない時はこの話でご勘弁、ということがある。
当時は、もちろん足で歩くので、日本橋からの最初の宿が、それぞれ品川・新宿・板橋・千住となってる。品川には、旧道の品川宿の名残が今でもある。
新宿は、まさに新しい宿でずいぶんと様変わりですね。当時は、「内藤新宿」と言われて、いまでも町名が残っている。今は、大きな街に発展したけど、どこも元は宿場町。というわけで、江戸の範囲には諸説あって、でもやっぱり狭いと思う。
実家は世田谷というか大田区というか、親戚はその辺りなので、もちろん江戸ではなく武蔵野。あの高級住宅地、田園調布の田園調布警察も、ちょっと前までは東調布警察だったね。まあ田園「調布」だからね。
目黒辺りは、お殿様の鷹狩りのお遊び場。目黒区には鷹番、の住所があるでしょ?落語では、遠乗りしたお殿様が、住民がさんまを七輪で焼いていたのを食して、そこから焼きさんまが好きになった。落ちの、さんまが銚子から来たのを聞いて、お殿様が「さんまは目黒に限る」と言った、というサゲです。
別に目黒はさんま漁はなく、千葉の銚子から来たけど、お殿様の勘違い、といったところがおかしい。いまでも、落語の噺から来た、目黒さんま祭り、があって、被災地の福島県から、送られていたけど、震災時でもちゃんと目黒には提供された。落語が取り持つ縁です。